2022年2月14日

樹の話

「うつくしいもの」への憧憬、「いい文章を書きたい」という欲求は、いまだ心の底に熾火のように仄かな光を発している。けれども「生の倦怠」もしくは「生の蹉跌」がそれを上回る。

その Ennui を打ち破り、わたしを「生」へと回帰させる「うつくしさ」はどこにある?



窓の外の樹々が、「剪定」という名目の誤魔化しによって、繊細な枝々を無慚に斬り落とされてゆく。「裸木の美」を知らぬ粗野で野蛮な田夫野人たちによって。







なんとかお前に交わる方法はないかしら

葉のしげり方

なんとかお前と

交叉するてだてはないかしら




お前が雲に消え入るように

僕がお前に

すっと入ってしまうやり方は

ないかしら

そして

僕自身も気付かずに

身体の重みを風に乗せるコツを

僕の筋肉と筋肉の間に置けないかしら



川崎洋「どうかして」『現代詩文庫33川崎洋詩集』(1987年)より



My name is Takeo.

T is for Tree.

樹を伐られるのを見るのは自分の身を切られるのと同じくらい辛く悲しい

樹々の枝がなくなれば、小鳥たちの啼き声を聴くことも出来なくなる。
この邦で、美と、自然との交叉は限りなく難しい・・・


◇  ◇

Albín Brunovský. Slovakian (1935 - 1997) 
- Etching - 

*

“Your head is a living forest full of song birds.

e.e. cummings

*

「きみのあたまは生きた森だ。そこにはいつも鳥たちのさえずりが充ちている」

e.e. カミングス










0 件のコメント:

コメントを投稿