2021年6月27日

侘しさと寂しさと、便所の臭いのする生活だった シリーズ「アパート」1978年ー石内都(Miyako Ishiuch)



Apartment #58, 1978, © Ishiuchi Miyako



Apartment 4, 1978, © Ishiuchi Miyako



Apartment #56, 1978, © Ishiuchi Miyako


Apartment #60, 1978, © Ishiuchi Miyako



 Apartment #50, 1978, © Ishiuchi Miyako




流れゆく時に 遅れてはいけない

移り行く社会に 遅れてはいけない

斉藤哲夫「悩み多き者よ」









5 件のコメント:

  1. Takeo さん, こんにちは.

    石内都の写真, とても美しいですね.

    こういう風景は確かに私の子どものころにはありました.

    そして私はいつしか新しい「時代」に適応 (?) し, 「便所の臭いのする生活」には堪えられない人間となりました.
    石内都の写真は本当に美しいですが, 私はもうその中に入ることはできないでしょう.

    ただ, それは紛れも無く私たちが体験したものです.

    残念なことです.

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    1. こんばんは、底彦さん。

      おそらくわたしと底彦さんとは同い年だと思います。(メプさんとはひとつ違い)。
      この写真が撮られた70年代半ばは、まだ小学生でしたね。

      これらの写真は「アパートメント」の写真となっていますが、ついこの間、20世紀末までは、
      このような住宅は確かに形態は「アパート」ですが、どこも「〇〇荘」といっていたような気がします。わたしが26歳から42歳まで住んでいた大田区馬込のアパートも「荘」でした。



      >そして私はいつしか新しい「時代」に適応 (?) し, 「便所の臭いのする生活」には堪えられない人間となりました.
      石内都の写真は本当に美しいですが, 私はもうその中に入ることはできないでしょう.

      底彦さんは移りゆく時代に遅れなかったひとなのでしょうか。
      流れゆく時に遅れなかったひとだったのでしょうか。

      わたしは、「荘」から離れ、馬込・山王から離れ、多摩に来てから、大きく変わってしまいました。

      これは答える必要のない質問ですが、さすがにわたしも、便所の臭いのする生活、共同便所、共同の流し場のある生活は出来そうにはありませんが、底彦さんが、もうこれらの写真のような生活に堪えられないというのは、やはり共同便所的生活スタイルに堪えられないという意味でしょうか?

      言い方を換えれば、今、この写真の時代から約40年を経て、唯一、医療の進歩を除いて、この当時の生活を(有形無形で)上回るものって一体なんでしょう?

      確かにわたしはこのようにインターネットなどやっていますが、インターネットのない時代に生きることはまったく苦痛ではありません。但し世の中が、この写真のような世界であったならば、ですが。もとよりインターネットは生活必需品ではなく、社会がインターネットを必要な時代にしてしまったのです。

      底彦さんが何故無理なのかはわかりませんけれど、わたしは、石内都の世界に、たった今逆戻りしても、少なくとも、「現代」よりは生き易いような気がします。

      木村敏や中村桂子さんの指摘を俟つまでもなく、わたしは自然の一片に過ぎません。
      そして、であるならば、「他者」もまた「自然の一部」であるはずです。

      わたしは自分が10代だった頃、人間と自然との距離は今ほど離れてはいなかったと思います。

      >そして私はいつしか新しい「時代」に適応 (?) し, 「便所の臭いのする生活」には堪えられない人間となりました.

      時代はわたしと全く無縁に絶え間なく変化し続け、わたしはいつの間にか「時代」に適応することが出来なくなり、またその意思もなく、「スマホのある生活」には堪えられない人間となりました。

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    2. こんにちは, Takeo さん.

      石内都の写真からは, その風景だけではなく, そこにいる人の生活の色や匂いまでも感じられるような気がします.

      私は子どもの頃のそういった諸々を写真から思い出し, 郷愁と共に自分の弱さ・惨めさのようなものまで思い出してしまいました.
      それほど強いイメージを受ける写真です.
      その風景の中で, 私は小さく弱く劣った子どもでした. 思い出したくない記憶もあります.

      懐かしいけれども「あの匂いのする生活」には戻りたくない.

      そこから抜け出すためには, 無理をして自分が変わるしかない.

      そして私は変わったでしょうか. 内面の部分では何一つ変わっていないと思います.
      相変わらず, 惨めな自分がそこにいるようです.

      また, Takeo さんのコメントを読んであらためて考えてみると, 時代に遅れなかったのでも, 適応したのでもなく, 傍らに置いてきぼりにされたと言ったほうが正しかったのではないかと思います.

      先に文章で, 私がさも時代に適応したために戻れなくなったかのように書いたのはつよがりでしょう.

      > 木村敏や中村桂子さんの指摘を俟つまでもなく、わたしは自然の一片に過ぎません。
      > そして、であるならば、「他者」もまた「自然の一部」であるはずです。

      私も「自然の小さな一片」です.

      しかし, 「他者」を自分と同じ「自然の一部」と考えることには恐怖と不安を伴った抵抗があります.
      それは私の病の一部分なのだと思います.

      このようなことは, 上の拙文を書いたことで自分自身あらためて認識しました.

      石内都の写真が素晴らしいことには何ら変わりありません.

      貴重なお話ができて良かったです.

      Takeo さんの目がいい具合になりますように, またお母様がご健康でありますように. 祈っております.

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  2. Takeo さまへ。
    こんばんは。メプです。

    2つ前の記事でのお返事コメントも、拝見しました。

    現状のご報告、、、読んでいて不快なんては、思いません。
    むしろ、今の目の様子が心配な事と、

    それに何より、そんな状態なのに、
    これほどの長文を書かせてしまって、申し訳ないな、、、と思います。

    余り酷使せず、お返事するのは気にせず、目を休めて下さい。

    *****

    折角、最新のこの記事欄でコメント(お返事)入れるので、
    同年代として一言・感想ですが、

    ~~荘は、懐かしいですね。今は、皆無。むしろ、新鮮?(笑)。

    *****

    あと、トイレは、、、出来れば、個別がイイな。日常生活ではね。
    オバちゃんだけど、一応・女子だから(笑)。

    でも例えば、うんと泉質の良い温泉の、山奥の小さな古い宿とかで、
    食事は土地のモノ(山菜とか、川魚とか)。都会では味わえない貴重な食材ね。

    そんな宿なら、我慢できる。トイレ共同でもね。むしろ、郷愁。

    って言うか、そう言う宿が、自宅(日常生活)だったら、どうかな?
    何か、余裕で・大丈夫な感じがするから、不思議。

    モノに溢れた街中の暮らしでは、トイレ共同なんて、何だか嫌だけど、
    大自然の山奥なら、余り違和感が無い、、、気がする。面白いな。

    本当に大事なモノや環境だけに囲まれて、最終的には精神の満足が主体になったら、
    何か、都会とは違う価値観になるのかもしれないな、、、。

    何て言いつつ、私は今も昔も都会じゃ無く、そこそこの田舎暮らしですがね(笑)。

    *****

    では、目を休めて下さい。
    お休みなさい。

               メプ

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  3. メプさん、底彦さん、お返事をありがとうございました。

    メプさんのコメントについても感想を書きたいし、底彦さんのメッセージに関してもいろいろと考えさせられるのですが、今の目の状態では、込み入った文章を書くことが楽ではありません。

    メプさんへのお返事・・・というかモノローグにも書きましたが、7日にまた御茶ノ水に行く予定です。けれども、母の疲れもたまってきているようです。これ以上悠長に「様子を見ていきましょう」という状態ではないと思います。既に書いたように、手術をしたI医師は多忙を極めている。そのため、代理の医師が2人いるのですが、結局自分で判断を下すことができない。そこでまた最初に逆戻り。
    けれども、わたしは今回の手術がうまくいったということはないと思っています。そして現在はまだ見えている方の左目の様子もあまりよくない(=眼圧が高い、充血する)。下手をすると、左目も手術をするという流れになってくるかもしれない。もちろん右は再度。
    そのようになった時、最後に残されている左目の手術をするにしても、絶対に、現在の状態、どのような術式で行うのか?それは何故か?どのようなリスクがあるのか?そういった、今回の右目の手術では為されなかった「説明」と「了解・納得」が不可欠です。そして言うまでもなく、術後の経過の患者への丁寧な説明(アフターケア)の大切さは、今更言うまでもありません。
    けれども、いまの病院ではそれは望めないことは、過去両眼の白内障の手術の様子でも明らかです。

    7日を最後にしたいと思います。御茶ノ水まで毎週母と通院すること自体が、(母と患者であるわたしにとって、わたしの目にとって)大きなストレスになっています。

    メプさんも、Junkoさんも、底彦さんも、ご心配を頂き感謝します。

    どこに電話をかけるあてもなく、電話をすればほぼ険悪な雰囲気になるわたしのような人間にとって、
    シンプルな親切な言葉が身に沁みます。

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