2021年6月1日

針金の輪

気がつけば、五体満足な友人などもうだれもいない。みんな、重かれ軽かれ、どこかしら病んでいる。たとえ本人がまだ病に臥していないまでも、両親ふたりとも、またはそのどちらか、子ども、義父か義母、兄弟姉妹、甥か姪・・・・が、心身のいづれかをわずらっている。
みんな笑みの下に、かたるにかたれない苦悩と凄絶な風景をかかえて、<まだ死ぬわけにはいかない、まだ死ぬわけにはいかない>とうめきながら、いつ斃(たお)れてもおかしくはない生を、這うようにして生きている。

友人のひとりは夜ごと針金の輪をさする。娘が2年前に首をつった輪。なにか低くうたいながら、輪があたたかくなるまで針金をさする。たくさんの抗うつ剤をのむ。別の友人は一日になんどもかがみこみ、寝たきりの父親がのどにためる痰をとってやり、おむつをかえ、床ずれにならなぬようにと枯れ枝のようなからだをころがす。たちこめるにおいが、かれのもっていたできあいの思想を手もなく粉砕する。死んでくれたらたがいに楽になる。思いが影のように胸をかすめ、あわてて影をのけようとする。影はいっかなのかない。

ー辺見庸『コロナ時代のパンセ』(2021年)


このような文を読んで、不快感を覚えるよりも、寧ろ他の文章よりも、心が安らぐのだ。
わたしは「希望」という言葉を好きになれないが、自分が元気になることよりも、誰かのために、「『まだ死ぬわけにはいかない、まだ死ぬわけにはいかない』とうめきながら、いつ斃(たお)れてもおかしくはない生を、這うようにして生きている。」人がいるということはわたしにとってひとつの希望だ。

自分のことだけを考えるなら、わたしには、元気になる、良くなるということの意味がよくわからない。「今の世界で良くなる意味」「病んだ現代社会に於いて健康であるとはどういうことか」・・・これはこのブログで、それこそ何百回も考え、語ってきたことだ。


「まだ死ねない」という思いが果たして母の中に在るかどうかはわからない。
もう20年も前から、母はわたしの自死について、「それはあなたの自由だから」という考えを持っている。わたしが信頼できるのは、「苦しくても生きろ」とは言わない人たちだ。

やさしさとは、自分の上に、他の存在を置くことだと思う。
言い換えれば自己犠牲である。

母のやさしさと献身的な世話にもかかわらず、わたしの状態は一向に良くはならない。
イタリアの哲学者クローチェのいうように、他人(ひと)の不幸の上に成り立つこうふく(乃至生)は許されるのか?
この言葉がわたしの胸に、頭に常住している。

同様の思いは重い障害、複雑な障害を持った者の共通の心理ではないか。

「まだ死ねない。まだ死ぬわけにはいかない」という思いを抱き、今日も明日も、というより、24時間常に必死の思いで生きている人たちがいる。

一方でわたしは、わたしが死ねば母の重荷が僅かでも減るという思いを拭い去ることが出来ない。もっと率直にいえば生きていることが、苦しくて、痛くて仕方がないのだ。「人外」として、人交わりの許されぬ存在として、孤立と独特の認識の化け物として、人はそう長くは生きられない。このような状態になってから既に10年が経つ。

嘗て主治医は言った、「Takeoさんは人から敬遠されるタイプだから・・・」
話し相手を求めて、いのちの電話にかけても、気まずい雰囲気になることが度々あったのでもうわたしはどこにもでんわをしなくなった。

インターネット上でも、友だちのようなそんざいはいない。
わたしは、インターネットで、言葉の本来の意味で、人と人とが繋がることが出来るとは思っていない。(これはあくまでも個人的な感想である)

仮に相手の本名、性別、年齢、職業、そして顔を知っていたとしても、
そこには空間の共有がない。
そして非言語的なテクスチャー、相手の呼吸音、ぬくもりがない。

道を歩いていて具合が悪くなって蹲(うづくま)っている者に、見ず知らずの人が、「どうしましたか?」としゃがんでいる人の肩にかるく触れながら尋ねるのと、ネット上での嘆きに、文字だけで心配し、やさしいことばを掛けることとの間には大きな懸隔ある。

インターネットでも、現実の友達同様に親しくなれるという人を否定はしない。
ただわたしはそうではないというだけのことだ。


「生・老・病・死」という。
実際には病と死の間に上記のような長い長い「衰」の時期があるのだが、

この「生・老・病・死」をどこかで分けるとすれば、たいていの人は「生」-「老・病・死」のように分けるのではないか。

けれどもわたしなら「生・老・病(衰)」-「死」と分けるかもしれない。

母は時々、「生きるも地獄 死ぬも地獄」というけれど、「生きる」ことは確かに「地獄」である。けれども、一切の苦しみや患いからの解放が「死」ではないか。

仮にわたしに親しい友人がいて、彼が自殺したと聞いても、おそらく深い悲しみは感じないだろう。
「やっと苦しみから解放されたんだね」と思うだろう。

わたしは生のよろこびというものをついに知り得なかった。生とは孤独と同義だった。

対話とは、互いの違いを確認するための行為だった。

そしていま、世界から見捨てられたわたしも、そのわたしをたったひとりで支えてくれている母も、疲れ切っている。







 



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