2021年6月23日

フレンチ・ソング イン ニューヨーク


New York Times Square, 1954, Ernst Haas.


Les Parapluies De Cherbourg - Barney Wilen with Mal Waldron Trio

*

「シェルブールの雨傘」(I' ll wait for you) 

写真は、エルンスト・ハースの撮影した1954年のニューヨーク、タイムズ・スクエア。
ミシェル・ルグランの作曲したフランス映画のテ-マソングがニューヨークの黄昏によく似合います。

サックスのバルネ・ウィランはフランスのサックス・プレーヤー
ピアノのマル・ウォルドロンは、先日Mさんから送られたビリー・ホリデーの「レフト・アローン」を作曲した、’レディー・デイ’(ビリー・ホリデー)の最晩年のピアニストとしても知られています。











5 件のコメント:

  1. Takeo さまへ。
    こんにちは。メプです。

    昨日6/22は、眼科の受診日でしたね。結果は、、、如何でしたか、、、。
    少しでも落ち着いてくれれば良いのですが、術後は色々落ち着かない事とかも、在りますよね、、、。

    *****

    そんな、受診でお疲れの処、
    哀愁あふれる演奏をご紹介いただき、ありがとうございました。

    早速、聴いてみました。
    とてもステキな音楽と演奏ですよね、、、。

    でも、きっと夜中に聴き直したら、又もっと、更に違う印象なんだろうな、と思ったり。
    実は今。未だ、外が明るい(笑)。

    昨晩は色々あって睡眠不足。なので今日は疲れ過ぎて、早めに帰って来ちゃったんですよ(笑)。
    で、Takeo さんの記事を拝見し、早速、拝聴したところです。

    そもそも哀愁って、暗闇やほのかな灯りが似合う、、、と言うか、必須なんですね。
    改めて、暗い部屋で、楽しみに聴いてみます。

    *****

    実は小さい頃、古い映画音楽は、よく聴きました。
    小学5年生頃~~中学~~高校の頃です。今思うと、小学生が聴く音楽??(笑)。父の影響でしたね。

    あの頃は勿論、カセットテープでね。
    聴き過ぎて、テープが伸びちゃったりする(笑)。これもまた、今となっては哀愁。

    ご紹介いただいた「シェルブールの雨傘」はもちろん、
    あの頃よく聴いた映画音楽には、他にも哀愁の在る曲が、沢山ありましたよね。今の御時世とは違う、哀しい情緒。

    「夜霧のしのび逢い」とか、「黒いオルフェ」とか、「ひまわり」とか、「鉄道員」とか、、、。
    挙げたらキリがありません、、、。

    Takeo さんは今、とにかく少しでも目を休めた方が良いので、
    御返事はどうぞ気になさらず、ゆっくり音楽とか聴いて、身体を休めて下さい。

    では、、、。

                メプ


    【追伸】
    前回はこちらの欄にコメント出来ませんでしたが、今回は出来ました。お手数おかけしました。

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    1. こんばんは、メプさん。

      21日は久し振りに精神科の主治医と話をする予定でした。そして翌日の22日は、おっしゃる通り再び御茶ノ水まで。けれども、結局どちらも行き(け)ませんでした。

      主治医には、現在のわたしの状況・状態を、できる限り簡潔に、手短に書いて、母に手紙を託しましたが、主治医の言うには、「(相変わらず?)かたくてむずかしい」文章だそうです。結局、わたしが手紙に書いた悩みについては、ほとんど触れられることなく、それでも30分近く、母と話をしてくれました。

      いい医者なのです。けれども、そもそも、心の病或いは精神疾患、障害、なんと言ってもいいですが、それを、「哲学」=「生きる意味」とか「健康であるとはどういうことか」とか、「何が正常で、何がどうして異常なのか」といった問題とごっちゃにしてはいけないのだと、改めて痛感しました。どこの精神科であれ、精神科・精神医療というものは、嘗てある若い医師が、わたしに向かって簡潔に言ったように、「ここは心の問題を話す場所ではない」のです。彼は自分の診察室についてそういったのですが、それは、あらゆる精神科の診察室の話でもあるのだと今更ながら思いました。

      「生きる意味」「何のために生きているのかわからない」と言った訴えに、真剣に向き合ってくれないから二級の医者と言うことではなく、そもそも、「精神医療」と「生き方の問題」を混同することが誤りでした。



      (精神科に)行かなかったわりに疲れ切り、22日の眼科の再診もキャンセルしました。その代り、昨日、(木曜日)(引っ越す前の)行きつけの眼科に行きました。9日に手術をした目の眼圧は、手術直後、そして術後4日か5日目の検査の時よりも20以上も上がっていました。

      問題は、ストレスと眼圧との関係です。

      そもそもわたしは、電車でわずか二駅の精神科に行くことさえできない状態で、さらに遠くに引っ越すことになりました。ここ数年、わたしにとって、乗り物に乗るということは、途轍もないストレスなのです。

      とにかく、手術後の眼圧の急上昇を受けて、かかりつけ医は、できるだけ早く手術をした病院で診てもらってください、と。わたしが、「ここと御茶ノ水の眼科と何が違うのですか?」と訊くと、「やっぱり、手術をしたところだから・・・」と要領を得ない答え。



      わたしは思うのです。立川駅までの20分間のバスの行程と、新宿までは「特急」を使っているとはいえ、立川や新宿、四ツ谷、御茶ノ水の駅のうるささがどれほどの苦痛をわたしに与えるか。
      そんな、へろへろで、立っているのがやっとと言ったような状態で辿り着いた病院で測った眼圧は、どれだけ「本来の」眼圧なのでしょう。「血圧を測る前に10キロ走ってきてください」と言っているのと同じに思えて仕方がないのです。



      わたしの言動は、とうてい普通の人には理解できないものです。
      緑内障の術後の経過が思わしくないので、できるだけ早く手術をした病院で診察を受けてください。

      こう言われて、何を躊躇うひとがいるでしょう?

      ことほど左様に、わたしという存在は、一般の人はもとより、医療・福祉関係者にすらまるで理解できないものです。そのことが、「私の言動は誰にも、文字通り誰にも理解不能」ということが、「眼科に行く意味」を見出しかねているのです。大きく言えば(誰ひとり理解できない生を)「生きる意味」を生き続ける意味を。








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    2. 映画音楽、わたしとメプさんはひとつ違いで、所謂映画の黄金時代も、60年代のロックの黄金時代もリアルタイムでは体験していません。

      おっしゃる通り素敵なテーマソングがありましたね。ミシェル・ルグラン、フランシス・レイ、エンニオ・モリコーネ、ニーノ・ロータ、そしてヘンリー・マンシーニ...
      偉大な作曲家もいくらもいました。

      そして主にヨーロッパ映画で使われたクラシック。ショパン、モーツァルト、ブラームス、リスト、バッハ・・・

      「哀愁」という言葉も、最早出る幕がないような時代になっていますね。

      いつも言っていることですが、わたしは、まだ世界に「文化」であるとか「フェイクでないもの」=「本物」と言われるものがあった最後の時代を生きることが出来ました。

      それにしても、わたしのような畸形の者と、上のコメントのように、まるで、普通の人と話すように語り掛けてくれる人がいるということがとても不思議に思われるのです。

      図書館で、映画音楽のCDを捜しましたが、残念ながら、オムニバス盤はあっても、収録されている曲は、映画で使われたのと同じオリジナルではないのです。
      そういうCDやカセットがあるのかわかりませんが。

      いつもわたしの鬱陶しい愚痴に付き合って下さり、どうもありがとうございます。

      平和な週末を過ごされますように。




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  2. Takeo さまへ。
    こんばんは。メプです。

    ご丁寧にコメント頂いたもの、拝見していました。
    直ぐに返信が出来ず、ごめんなさい。

    でも、とにかく眼科の件は、心配です。
    これの次の記事のJunkoさんのコメントと同じく、とにかく少しでも良くなります様。

    ご自分の目で、絶対的に見続けなくてはならないものが在る、、、気がします。
    もちろんJunkoさんが仰ってる通り、優しいお母さまのお顔とかも。

    それに、もしも全ての光を失ったら、多分、Takeoさんは、
    巨大で哀しい絶望に、追い詰められてしまう気がして、心配です。

    だから目だけは、どうかお大事にして下さい。


                    メプ

    【追伸】

    最新記事ではなく古い記事にコメント入れて、気づいて頂けるシステムなのかどうか解りませんが、
    話の流れから、こちらに記入しました。不都合であればお知らせください。


    それと、【まるで、普通の人と話すように語り掛けてくれる云々~~~】って仰ってましたが、

    そもそもTakeo さんは、大変に礼儀正しく・曲がった事が大嫌いで、

    ほんの少しだけ不器用なこだわりを持ち、、、
    (すみません。 変な、非難めいた意味では、決してありません。むしろ人間臭くて、イイじゃないですか、、、? 笑)、

    そして何よりも、お母さま想いの、すごく優しい方だと思いますよ。

    とにかく、お身体、大事にしてください。

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    1. こんばんは、メプさん。

      先ずコメントですが、どの投稿にコメントしてもわかります。しかし、ブロガー含め、非・日本製のブログには、「最新のコメント」という表示がなく、仮にメプさんが、2週間前の投稿にコメントを残して下さっても、それに気づく人はいないでしょう。

      メプさんが何処にコメントをしようと一切構いませんが、読者のことを考えると、投稿の内容とのズレはあっても、最新の記事に投稿いただければと思います。もちろんこのように、継続したやり取りがある場合は別ですが。



      昨日、また母に付き添ってもらって、御茶ノ水まで行ってきました。手術をした目の状態は良くはなっていません。わたしは執刀医(=病院の理事長)が、あまりに多忙であり、それにもかかわらず患者が殺到し、ただでさえ医師に質問することが苦手なので、術後の経過が思わしくないこともあり、病院に相談して代理の医師の診察を受けに行きました。

      ところが「代理の医師」は、「I先生に診てもらってください」、と、かかりつけ医と同じことを言う。
      I医師にあまりに患者が多すぎるので、2人の代わりの医師がいても、結局、「自分では判断しかねるのでI先生の診察を受けて・・・」では、結局「振出しに戻る」ではありませんか。

      I医師は多忙である。術後の経過、今後の見通しについてもほとんど何も言わずに、次の予約を取ってくださいと言うばかり。それでは不安なので、「I医師以外のドクターに」、と病院と話したはずです。「わたしには判断しかねるのでI先生に・・・」と誰もが言うのでは、そりゃI医師に患者が殺到するはずです。「代理」が務まらないのだから。

      と言うことで、I医師の診察を受けることになりましたが、モニターには「I医師の診察が大変混雑しています。お待たせして大変申し訳ありません。「と表示されています。

      わたしは昨日はO医師の診察の予約で行きました。それが、O医師にI先生に診てもらってと言われれば、当然最初からI先生の予約で来ている人が優先される。4時の時点で、I先生はまだ1時台の予約患者を診察中。画面には約40人待ちと表示されている。わたしは「医療相談室」に行って上記の経緯を話した。「O医師にI先生の診察を受けるようにと言われたが、これだけI先生の診察を待っている患者が溢れている。わたしはイレギュラーの診察で、予約のない患者扱いだろうから、当然一番最後になるのだろう。そんなに待っても、きちんと説明をしてくれないし、質問もし難い・・・」と訴えた。「待つ意味はあるのか?」と。
      同席した母が「インフォームドコンセント」というのは今はもう死語ですね。と言うと、看護師は「とんでもない!」という。この茶番。
      「死語」も何も、そもそも日本の医療現場で、「十分な説明と納得、患者の質問や不安に可能な限りわかりやすく応える」などということが行われるわけがない。

      わたしは相談を受けた看護師に非常に不快な、そう、いつも保健所や市の障害者福祉課の保健師に電話して感じるような、「言葉の不通」を感じた。

      結局相談後すぐにI医師の診察になったが、経過は良くない。「・・・或いは手術で開けた水路がまた癒着しかかっているのかもしれないので、早急な結論を出さずに少しづつ経過を視ていくしかないでしょうね・・・はい。じゃあまた来週診せてください。」と、結局7月7日、I医師の予約を取った。



      手術の後の経過が良くないということは誰にでも、どの科にでもあること。それをとやかく言うのではない。術後の経過が良くないのなら、尚更、執刀した医師は責任を持って患者に詳しく説明しなければならないのではないか。I医師はそれができない。或いはしない。忙しいから代理の医師が2人いる。せめて代理のドクターに詳しい状態・状況を訊きたいと思っても、「私では判断しかねる」という。益々希死念慮は強まる。主訴は「他者とコミュニケーションを取ることができない・・・」

      こんなことはざらにあることなのだろう。

      せめて生きていて何かひとつでも楽しいことがあれば。愚痴を言える友達がいれば。自由に外に出ることができれば。そして母の負担を減らす(無くす)ことが出来れば・・・

      先週も、「障害者の生きる権利」について、市の「地域活動支援センター」スタッフ、及び「健康推進課」の職員と険悪な雰囲気になったことを書き添えて、ひとりごとのようになってしまったお返事を終わります。

      メプさん、このまま送ります。これがいまのわたしの現実だから。

      読んでいてご不快だったでしょうが、ご理解いただければ幸いです。


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