2021年6月3日

こころの話をしなくとも、通じ合える人

 
久し振りに高校時代の友人と話した。わたしはズームとか、スカイプとかいうものは全然しらないので、彼がチャットルーム(?)を捜してくれて、そこでしゃべる。
彼を、わたしがいつも言っている意味での「友人」「親友」と呼べるのかどうか、よくわからない。高校時代の同級生で、放送部の仲間であり、軽音楽部で一緒にバンドをやっていた。
30代には、一緒に岐阜の郡上八幡や、滋賀ー丹後ー京都と旅行をした。大人しい人なので、一緒にいると安心する。

彼を「友だち」「親友」と呼ぶことに躊躇いを持っているのは、既に高校時代から、お互いの悩みを話したり、内面の、つまり心の話をしたことがないからだ。彼がわたしにとってかけがえのない人物であることに変わりはないが、彼は悩みを打ち明ける存在というよりも、昔から機械音痴のわたしのよきアドバイザーであり、彼の存在が無ければこのようにインターネットもやっていなかっただろう。彼のように、コンピューターやAV機器に詳しい人はいくらもいるだろうが、わたしのように極端になにも知らないものに、わかるまで根気よく説明してくれる人は稀だろう。

今日はヘッダーの画像(タイトルの背景のメインの画像)がどうしても大きくならないという相談に乗ってもらっていた。
彼は自分ではブログをやらないので、わたしの疑問、トラブルに対応するために自分でブロガーのブログを作った。その名も『只今実験中』。わたしがヘッダーの画像がどうしても大きくならないんだけど、と訴えると、早速「実験室」で、彼のブログのヘッダー画像がどうなるかを確かめる。最終的になんらかのバグだったようで、何とか元に戻ったが、その後も、わたしが、画像の両サイドの白い縁取り部分は何とかならないのかな?と更に食い下がると、再び試行錯誤し、どうやら、イメージ画像を囲む枠の色は、メインの背景と同じになっているようだと突き止めた。

昔からこんな感じだった、高校時代、数学が極度に苦手だったわたしに、彼が放送室の黒板で、教えてくれた。因数分解の問題だっただろうか、彼が「~で、こう展開するの」と言った時、わたしはすかさず、「なんでそう展開するの?」と訊き返した。いつもいっているように、わたしには「そういうものだから」「そうだからそうなの」という返事は、そもそも「説明」でも「理由」でもない。
わたしにとっては” Why? ” - ” Because...”というやり取りが重要なのであって、JUST BECAUSE!は無用なのだ。
わたしは「ジャスト・ビコーズ」=「なんで?」「なんでも!」という世界には馴染めない。

彼はわたしが納得するところまでどこまでも遡って説明してくれた。
機械の説明でも、パソコンに関しても、彼の口から、「そういうもんなの」という言葉を聞いたことがない。

「ファイル」と「フォルダー」「ダウンロード」と「インストール」の違いすら分からないわたしに呆れて天を仰ぐようなこともない。

心の話、悩みについて話せ(さ)ない代わりに、彼とはいつものわたしと打って変わって、ざっくばらんな話ができる。堅苦しいですます調ではもちろん話さない。「え、マジで?」などと言っている。

心の話ができるのが友だちだと、いまでも思っている。
けれども皮肉なことに、こころだ魂だ精神だと言わない相手が、一番気軽に話せる相手なのだ。

そろそろ、「友人」の定義を見直した方がいいのかもしれない。

もうそんなことはできないかもしれないが、もう一度、彼と旅行に行ってみたい。

 

彼と話していると、よくバックにジャズピアノが流れている。
彼自身が最も好きなのは高校時代から変わらずビートルズだ。

今日のお礼に

エロール・ガーナーの『ローラ」



そして、彼がビートルズの曲の中で何が一番好きなのかわからない(わすれてしまった?)
ので、彼に教えてもらった中からわたしのお気に入り。

アルバム『リボルバー』から
「アンド・ユア・バード・キャン・シング」







0 件のコメント:

コメントを投稿