こんばんは、Mさん。もうひとつのブログにコメントが残されていること、数日前から知っていました。けれども、この間わたしが別にブログを作って、そこに現在こちらで見られるような投稿を30ほど書いていた時に声をかけてきてくれた男性のコメントであろうと思い、見てみぬふりをしていました。
以下、Mさんの承諾を得ずに、いただいたコメントをここに転載することをお許しください。
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こんばんは。Mです。
すっかり御無沙汰してすみません。
今日は、2021年6月11日です。
もう、かれこれ、、、2カ月余り、経ちますでしょうか、、、。
でもブログは、遠くから拝見していました。
特に4月~5月半ばの、揺れ動く頃。1日に2~3回、、、昼と、夕、寝る前とか、ね。
ですから、既に非公開になった記事も、多分、全て、、、読んでます。
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その頃。途中で何度もコメント入れようか、迷いました。
特に、、、心無い・酷いコメントの記事を読んだ時。
でも直ぐに、ふたつさんやJunkoさんが、愛情こもった長文コメントを書いておられたのを拝見し、
何だか少し、遠慮しました(笑)。あぁ、、、全然、変な、ひねくれた意味ではありません。
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礼節を欠く言動は、人として本当に恥ずべき事だと思うし、
実際、私自身。そんな失礼なコメントには怒りを覚え、
頭の中で「ピキッ!!」っと音がした気がしましたからね。
でも、お二人のコメントは冷静で、そのうえ、Takeo さんへの敬意や愛情も感じられる。
怒り!!の私とは、、、大違いだな。
とは言え、「礼節を欠く行為は、人として恥ずべき事である」という私の思いは
お二人のコメントと共通項でしたから、、、既に十分、書かれてる。
そういう意味で、少し遠慮しました。
それと、すごく難しい・哲学的な内容になると、、、自分には基礎知識も無くて、、、。
遠慮どころか、コメントはさむ余地が無い(苦笑)。
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難しい話はコメント出来にくいけれど、
でも、途中・途中で、、、ホントはコメント出来そうな事。色々在りました。
味覚が半分くらい戻って来たけど、未だ完全じゃ無い、、、とか。
でも、少し、戻ったんだ、、、ホント良かったな、、、とか。
同じ記事の中で、お母さまの記載が在ったけど、
お身体、大丈夫かな、、、とか。
食事の支度を2日分。大変だけど、Takeo さんの為に頑張って下さってるって。
本当に、お母さまの愛情は、深いな、、、とか。
でも御高齢だから、身体が少しキツイ日とか、
そういう、体調の要因でも、少し不機嫌にもなるかも、、、とか。
そうそう、眼科受診の記事もあったけれど、大丈夫かな、、、とか。
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それと、、、あの頃。色んな、酷いコメントの渦に巻き込まれない様に、
敢えてМさんって呼びかけず、伏せて下さっていると、行間から伝わっておりました。
Takeo さんは、そう言う繊細な気配りが出来る方だと、、、。
その気配りは、Takeo さんの人間性の根本だと。
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実は、今回お送りしたお便り内容は、ほぼ5/17頃に書いていたのですが、
お送りするタイミングを失い、下書きのままになっていた文章です。
実はその頃、87歳になる父の具合が少し悪くなり、
急な対応に追われました。今でも毎日(苦手な)早起きして、実家に通ってます。
すっかりタイミングを失ったメール内容ですが、
その当時の、感じたままの言葉ですので、
冒頭の部分のみ、一部改変し、お送りします。
丁度、1カ月余り、、、の文句が、2カ月余りになった感じです。
Takeo さんのブログ更新が、ほぼ止まってしまった今、
お気持ちを推察すると、、、やはり、お送りしようと。
遠くからで、すみません。
このコメントの存在に、気付いて下さるのかどうか解りませんが、
とにかく、、、お身体、大事にして下さい。それと、お母さまのお身体も。
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最後になりましたが、ここ最近、私が夜に時々聴く、お気に入りの歌(動画)をご紹介します。
昔のジャズとかお好きだって仰ってたから、ご存知の曲かもしれませんが、
でも歌ってるのは、確か80年代によく出ていた歌手の女性。懐かしい、、、。ヒット曲も結構聞きました。
この動画の曲は、哀愁があって、好きです。この声も。
夜に聞くと、すごく哀しくて、、、好きです。
https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3+%e3%83%ac%e3%83%95%e3%83%88%e3%82%a2%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%b3&&view=detail&mid=E0A0ED3477056E068D56E0A0ED3477056E068D56&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3D%25E3%2583%259E%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%2520%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2595%25E3%2583%2588%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25AD%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%26qs%3DSC%26form%3DQBVR%26sp%3D1%26pq%3D%25E3%2583%259E%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%2520%25E3%2582%258C%25E3%2581%25B5%26sc%3D1-7%26cvid%3D5348E32E88DC4F96987BC78EA2B3DBD6
では、、、お休みなさい、、、。
メプ
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Mさん、真情に満ちた親切なお気遣いに、心から感謝します。
以下、とりとめもないわたしの感想を、今の想いを、返信の代わりにMさんにお伝えし、お送りいたします。
◇
正直、わたしはMさんはもうわたしを見切ったのだろうと思っていました。
これまで出逢って来たほとんどすべての人たちと同じように。わたしはそのことを・・・Mさんがわたしとこのブログに見切りをつけて去っていったことを、まったくあたりまえのこととして受けとめていました。それは、「穢い言葉を聞くと(読むと)つかれる」というわたしの感覚と照らし合わせて、まったく自然のことだと考えていました。逆の立場に立った時に、わたしが知り合いの「穢れた言葉」に満ちたブログから遠ざかることも充分に考えられるからです。
頂いたメッセージの中にある
この言葉を読んでとてもうれしく感じました。
わたしのために「怒って」くれる人が、母の他にもいたなんて。
おふたりの冷静な対応と、とにかくわたしのために「腹を立て」「怒ってくれる」ことの間にどれほどの差が、優劣があるでしょう。
ふたつさん、Junkoさんの対応と、Mさんの「怒り」、そこには、ただの1ミリの違いも存在しません。
極論すれば、愛情の極致とは、その人のために「復讐」することができるか、であるとわたしは考えています。つまり憎むべき者を殺めることができるか?というところまでゆくのが(わたしにとっての)真の愛情なのです。それは過去に、フランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』という映画について書いた時にも触れているはずです。
わたしはMさんを含む、ごく当たり前の人が、上に書いたようなことを考えているわたしという人間を理解することは不可能であるということを承知しているつもりです。
ですからわたしは「孤立と、独特の認識の化け物」であると、事あるごとに周知を徹底させるよう努めて来たつもりです。
◇
先週、6月9日水曜日に、御茶ノ水の眼科で、引っ越し以降、急速に悪化した右目の緑内障の手術をしました。わたしの両眼は、22か3歳の時に、緑内障で手術をしています。
今回の処置は、その時、つまり35年ほど前に手術で作った、目の中にたまった水を排出する水路の、癒着による閉塞を再度開放するというものでした。
通常の緑内障の手術の場合には、1週間から10日の入院を必要としますが、癒着して塞がった排水路に再び水が流れるようにする今回の処置は、手術翌日の、再建した水路の再度の癒着防止のための注射を打つためと、手術直後の経過観察のため当日に一泊し、上記の処置と診察を経て、翌日に帰宅しました。今日で手術をしてから9日が経ちます。残念ながら、術後の様子は思わしくありません。もともと、右目は20代の時から、相当にダメージを受けており、視野の約半分が欠けている状態で、35年間なんとか普通に生活してきました。そして、昨年11月の慌ただしい引っ越しの後、更に悪化した右目。行きつけの眼科での検査・診察の上、既に薬だけでは高い眼圧を抑えきれない状態にあったため、できるだけ早い手術が必要という判断の下に、今回の手術を受けましたが、現時点での状態は、術前よりも、更に見えなくなっています。昨年の左目の白内障の手術、6、7年前の右目の白内障の手術の際、また、20代の時、大学病院の眼科に通っていた時もそうでしたが、医師はこちらの疑問や不安に全く答えてくれません。いえ、正確にいえば「答えてはいる」のです。「痛みがある」のも、「見えにくい」のも、「出血が見られる」のも、「手術の後ですから。」それが答えです。
故西部邁は、奥さんが入院中(結局亡くなりましたが)「医者に人間味や思い遣りを求めること自体が無理な相談である」と言いきっています。それはそのような人間的な対応を求めること自体が愚かだというのではなく、大病院で患者へのきめ細かい配慮を求めることは、そもそも不可能なことなのだという意味でした。
◇
わたしはこわいのです、医師の無表情、病み、弱った者への無関心が、ついでに言えば、わたしは88歳の父が怖いし、弟がこわい、例のブログの連中もこわいのです。
9日の手術後、14日の月曜の診察の時の様子を見て、わたしはもう何も聞くまいと思いました。その日に次回22日火曜日の予約が取られましたが、わたしは病院の医療相談室に、「I先生の診察には行けません。」と伝えました。理由は、「何ひとつこちらから訊くことができないから」「あれこれと訊いて、鬱陶しそうな顔をされるのがこわいから」と。わたしの受診拒否の意思を受けて、医療相談室の男性看護師は、執刀医=病院の理事長に意見を求め、術後の経過観察は必要だから、別の医師の診察を受けるようにと回答してきました。それから3日が経ち、視界は相変わらずで、ほとんど何も見えないままです。鏡で見る限り、出血はないようです。けれども、わたしは、引っ越しまえのかかりつけの眼科に行くことはあっても、もう御茶ノ水には行かないつもりです。第一の理由として、この目が手術前の状態にまで回復することは最早ないだろうという諦め。加えて、特急を使い、母に付き添ってもらっても、立川ー御茶ノ水間の往復が、どれほど苦痛を伴うものであって、電車に乗る、バスに乗るということの強いストレスが自律神経を乱し、結果として、眼圧を上昇させているか・・・
Mさんもお父様のご様子がよろしくないとのこと。さぞご心配でしょう。その後いかがでしょうか?
どうかご自愛の上、お父様の体調が少しでも早く回復されることを祈っております。
◇
長くなりましたが、最後に「ブログ」のことについて。現在右目はほとんど見えない。そして左の目も決して健康とは言えない。右目の状態が、ただでさえ眼圧の高い左目の負担になっていて、ものが見づらいのです。
それだけではなく、このところ、ブログを書くということも含めて、「インターネット」とはわたしにとってどのような空間・場であるのかが、わからなくなってきています。
いまではアート・ブログを含め、「このようなブログを書きたい」と、目標になるようなブログはどこにもありません。そしてブログでわたしが主張していることに共感してくれる人がひとりでもいるでしょうか?
霞んだ眼を酷使して、誰にも理解できないか、からかいの種にしかならない言葉を積み重ねてゆくことに何の意味があるのでしょう。
かつてわたしは、わずかだが、いい文章を書いてきたと言ったことがあります。あの言葉は取り消します。弱気になっているのでも、卑下しているのでもありません。そもそも「インターネット上でのいい文章」というものが存在するのでしょうか。そのようなことを差し置いても、わたしの文章は、お世辞にも上手いとは言えないものばかりでした。
今のわたしには、インターネットという摩訶不思議な空間で、言葉を発することの意味がわからなくなっています。
Mさんの「怒り」に心動かされたのと全く同じ次元で、わたしの中で「言葉」とか「知」というものに対する不信感と懐疑が閾値にまで達しているのでしょう。
◇
贈ってくださった、「レフト・アローン」(一人取り残され・・・)、ビリー・ホリデーの歌として知られていますが、やはりいい歌ですね。
まだ耳が聞こえ、好きな音楽が聴けるということに深く感謝しながら、
とりとめのない饒舌な駄弁を終わろうと思います。
お読みくださりありがとうございました。
メプさんのご家族の健康を祈っております
重ねて、ありがとうございました。
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