2020年4月27日

来週の生存確率・・・


これまではなかったことだが、ここのところこのブログに書いた投稿は、思いつくままを書いて読み返すことも推敲することも無くなった。これまでは書くのに半分、推敲に半分の時間を費やしていたのだが・・・

苛立ちと不安が募る。「死」というものが、観念的なものではなくなっている。一週間後にこの世にはいないかもしれないのだ。その厳然たる事実は、わたしや母だけのものではないはずなのに、なぜか皆左程「一週間後のいのち」についての不安におののいているという風には感じない。何故か?

パソコンで映画を観る習慣はないが、たまたま(勿論海外の人の投稿した)日本映画、岡本喜八監督の『肉弾』をお気に入りに入れていて、音声を主に聞いていた。原爆投下後、敗戦までの数日、特攻(といっても戦車に体当たりだが)に決まった若者の数日を描いた名作だが、「あすのいのちのないものを」という点で、今は驚くほど戦時中に似ている。
猫額洞のいうように、気狂いの指導者を頂いている、という点に於いても。キチガイというよりも、単なるアホウなのだが。

You Tubeで何よりも腹立たしいのは、若い芸能人だかミュージシャンが出てきて、「(感染拡大を防ぐために)外出は控えましょう」と。
そんなことはわかっている。お前らは安倍の、小池の犬か!

今、外に出られないことで、追い詰められ、窮地に陥っている人たちがどれだけいるか、お前らにわかっているのか。同じことを言うにしても、もっと苦渋に満ちた表情で言えないのか。その人たちのことを思えば「外に出ない。そんなの当たり前だよね」といった正義面は反吐が出るぜ!

多くの人たちが、外に出られないことで、疫病に等しい苦悩に呻吟している。
「若いからバカでもいい」とは言わせない!

今回のことで、また久しぶりに海外のブログ漬けになってみると、つくづくこの国の文化の底の浅さがよくわかる。

そして同時に、今改めて「障害者は不幸しか生まない」という命題が、いかんともしがたく正しく思えて仕方がない。

今日のタイトルは「猫額洞」のタイトルを拝借した。

ー追記ー

わたしの投稿を読み、コロナの恐怖であたまがおかしくなったと思う者もいるかもしれない。何故その者たちは「死ぬのが怖くない」のだろうか?つまりは戦時中の日本と同じで、「死ぬのが怖いなどといっている臆病者」ではない、といいたいのだろうか・・・

だとしたらつくづく恐ろしい国だ。

「にっぽんよい国 エライ国。世界でひとつの神の国」-『肉弾』で小学生が読んでいた教科書だ。主人公の若者はそれを聞いて一言。「狂ってる・・・」


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