2020年4月17日

すべてが終わっても・・・


猫額洞の日記にこのように書かれていた。

「夜、友人と電話で話す。生き延びたら、また会って喋りたいが。
 バラードではないけれど、風にさよならをいおう、って気分。」

バラードとは、歌の「バラード」ではなく作家の名前。正しい名前は忘れたが。

仮に生き延びたとしてもわたしには会って話せる友人も、話したい人もいない。

「すべてが終わった時に」まだ生き延びていたとしても、わたしには最早どこにも所属するところはない。繋がる人もいない。

ただそれにしても、病院で死ぬのだけは御免だ。

コロナにかかって入院を強制されるくらいなら、その場で射殺してもらいたい。

母が多摩総合医療センターに入院した時に、「もしも患者が暴れるようなことがあったらその時は拘束をする」という同意書にサインを求められた時に随分迷った。わたしなら確実に暴れるからだ。それで拘束されるくらいなら舌を噛み切るか?しかしそれでは死ねないだろう。そのような非人間的な扱い=「虐待」「拷問」を受けてまで生き延びる意味とは何か・・・












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