2020年4月23日

本性を現わす・・・


「ブロガー」には、閲覧前に、「このブログにはアダルト・コンテンツが含まれているので閲覧を止める」或いは「了解の上閲覧する」という表示を出す設定がある。

これまでは「エロ・グロ」のブログももちろん、もう一つのブログにもそのような表示を出したことはなかった。けれども、今日思うところあって、双方のブログに「警告」表示を出すことにした。

おそらく5~6年前にタンブラーでフォローしていたフランスの女性と同じ人物だと思うが、当時彼女のブログをフォローしていて、最近になって、往時フォローしたそのブログを見直してみると、彼女のブログには「成人向け」表示が出されている。

以前からドロローサのブログが何故そのような表示を出さないのかと訝っていたが、やはり絵と写真とでは違うと感じた。

そしてわたしは最近になってそのフランスの女性の、もうとうの昔に更新を止めているブログの影響を受け(?)「成人向け」としか言いようのない内容を投稿し始めたからだ。

わたしが惹かれるブログは大抵女性のものだ、ドロローサ、オーファン、そしてタンブラーの時からそのセンスの良さに舌を巻いていたそのフランスの女性。彼女もまたマイスペースでわたしがドロローサやオーファンと「友達」であったように、Tumblrでわたしのブログをフォローしてくれていた。

わたしのTumblrを知っている人は、わたしがあのような「あからさま」なポストをするような人間だとは到底思わないだろうが、そうではないのだ。

もともとがドロローサやオーファンに惹かれる人間である。わたし自身にそのような「あからさま」さが無いはずがない。

加えて、Tumblrで始まった「検閲」への反発反動もある。

いずれにしても、これからは(あたりまえだが)自由にやらせてもらう。
これまでのTumblrやClock without hands をずっと見てきた人たちは離れてゆくだろう。
これがTakeo (poboh)か!?と。

フォローしていたブログを見直すと、驚くほど「アダルト系」のブログが多く、「キレイ系」はほとんどない。

最期もちかいことでもあり、今更本性を隠しても仕方あるまい。

尚「猫額洞」とはさまざまな点で「違い」があるが、彼女の書いた、「私たちが死ぬのが安倍の無能のせいであることが無念だ・・・」という言葉に全面的に同意する。

いずれアジア各国からも憐れまれ、ちゃんとしたマスクが寄付されるかもしれませんね。




2 件のコメント:

  1. こんばんは, Takeo さん.

    今日, Takeo さんの絵画のブログを見にいったら警告が表示されたので "Show all posts..." をクリックして全てを見ました.

    Takeo さんの絵画のブログは素晴らしいと思います. 気になった画家は名前を控えています. 作品の情報を載せていただいているのはとてもありがたいです.

    Lina Scheynius (写真), Frits Lach, Kasih Sayang, Wlodzimierz Zakrsewski,... どの作家も初めて知る名前ですが印象的です.

    私も慢性的な鬱と無気力, 不安の中にありますが, Takeo さんの絵の投稿を見るのを楽しみにしています.

    日々, 寒暖の差が激しいですが体調など崩されませんよう祈っております.

    また何か思い付いたら書きます. それでは.

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    1. こんばんは、底彦さん。

      あたたかいメッセージをうれしくおもいます。

      ここのところ、日記の更新がなかったので心配していました。といっても、コロナの心配ではなく、やはりこれまで書かれていた「外出恐怖」「人が怖い」という状態が亢進しているのか、と。

      わたしも御茶ノ水に数日通ってから、「外が怖い」「人が怖い」という感覚が実感としてわかるようになりました。「何をそんなに怖がっているのだろう・・・」

      底彦さんとわたしとでは事情もこれまでの経緯も異なりますが、わたしに関していえば、怖いのは「日本人」とその社会ではないかと、ぼんやりと感じています。

      いづれにしても敢えてアダルト・コンテンツの渦中に飛び込む底彦さんの勇気に感謝します。(笑)

      ところで先日ピーター・ビアードが亡くなりましたね。

      わたしは彼のDiary から多くの影響を受けています。

      わたしのブログ作りの根底に、このような様式があります。

      前のブログから引用します。



      手元にある日本版ピーター・ビアードの「Diary」解説から抜粋・・・



      『・・・それにしても、ピーター・ビアードの「日記」は最も日記らしからぬ日記である。
      というより、そもそもそれは「日記」と呼べるのだろうか?
      「日記」のどの1ページを開いてもいいのだが、そこには彼の記憶と記録のごった煮とでも言うべき眺めが広がっている。

      それらは混乱であり、断片であり、徹底してトリヴィアルなものである。
      それらはありとあらゆる雑誌、広告などから切り抜かれ、ランダムにページの上に撒き散らされる。
      女優のセクシュアルなヌード写真の横に、飢餓に倒れたアフリカの子供の写真が並ぶことになる・・・

      そこに登場してくるのは、全て彼の「外側」に存在しているモノ、言葉、イメージである。
      引用とアッサンブラージュによって撒き散らされた記述をいくらつなぎ合わせても、
      ピーター・ビアードの「内面」などは見えてこない。
      徹底して饒舌なのは、イメージをシャッフルする彼の手と指であり、彼の口や心ではない・・・』

      図書館が開いたら、久し振りに彼の『日記』を見てみようかと思います。

      では底彦さんもどうかお変わりなく過ごされますように。

      武雄

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