2020年3月14日

厄介者


御茶ノ水の眼科での手術は4月3日の予定。右目白内障手術。費用は6万~10万円。
いつごろかわからないが、父も過去に白内障の手術をしていて、母によると、その時かかったお金は2万円以下だったらしい。わたしの右目はもう光(あかり)が見えるだけにまで悪化していて、おまけに、過去に緑内障の手術をしている。眼圧が上がるのを防ぐため、眼球内に房水を溜めないための「水路」を確保している。その眼を手術する。
通常の白内障の手術で6万円であるなら。10万円かかってもおかしくない状態だ。

仮に5月末に都立多摩総合医療センターでやってもらったら、3万~5万だとしたらどうだろう?手術は確かにひと月半ほど早まった。けれども、この目が6万から10万出してまで治すべき目だろうか?医療センターの費用は聞いていないが、仮に5万だとしたら5月末でもいいのではないか?というよりも、そうすべきではないのか。



明日は真冬並みの寒さだという。弟に気軽に今日は寒いから泊まっていけばいいよと言えない自分が恨めしい。弟もここに帰りたがっている。というよりも、もうひとりで暮らすのは限界のようだ。けれども、わたしは弟がいると落ち着かない。ストレスが溜まってそれが暴力という形で表れるかもしれない。だからわたしの主治医は弟との同居には賛成していない。けれども、何故弟がこの訳のわからない兄の犠牲にならなければいけないのか?

母と話したのは、弟と母がどこかで一緒に住み、わたしがひとりここに残るという形。
勿論わたしは外には出られないし、出たくもないので、せいぜいもって1、2ヵ月だろう。
つまりわたしは、最後の時をひとりで静かに過ごしたいのだ。
いま弟がここに帰ってくるということになれば、わたしはすぐにでも出てゆかなければならない。無論どこかで生き続けるつもりはない。

しかしこれから母と弟が住む場所をまた探さなければならないのも大変だし、小規模であってもそこで生活するのだから、引っ越しということになる。

わたしは人と一緒に住むことはできないのだ。
例えば、友達がいて、仮に2~3日でも、1週間でも、ここに居てくれていいよといってくれたとしても、わたしにはそれができない。また、ちょっとした風邪くらいならいいが、本当に重い病気になったときに傍に人がいるということが苦痛なのだ。
だからわたしには「孤独死」を怖れる気持ちは到底わからない。














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