2020年3月12日

「見るべきほどのものは見つ」


「見るべきほどのものは見つ」とは何の、誰のセリフだったか・・・

今日は数年前に左目の白内障の手術をした御茶ノ水の眼科に、母に付き添ってもらって行ってきた。前にも書いたが、多摩総合医療センターで手術を受けると5月の末になる。
約3か月後。それまでこの目の状態では精神状態が持ちそうにないということで、現在かかっている眼科で、前回と同じ病院同じドクターに都合を訊いてもらった。
何故最初から前回の左目の時と同じ病院にしなかったのか。
それは術後の調子がいまひとつだったからだ。具体的には、目に入れたレンズの円周が薄暗いところで乱反射するのが鬱陶しいという症状だった。
両目ともそんな状態になっては・・・という危惧がここまで手術を遅らせていた原因のひとつだった。その他にも医師の態度。前回も同じ医師が執刀したが、説明の時に頻りに腕時計を見ていたことだけが強く印象に残っている。

わたしは20代初めに両眼の緑内障の手術をしている。当時の主治医のぶっきらぼうな態度。ごった返す待合室。その後、昭和医大の眼科に移ったが、こちらが繰り返し質問をした時の医師たちの露骨な迷惑そうな態度・・・わたしは20代に眼科で相当な嫌な目に遭っている。その当時の新聞の切り抜きで、いかに医師の言葉が患者を深く傷つけているかという記事をいくつもとってある。医師の暴言によって傷ついた患者さんたちの言葉を集めた小冊子も持っている。それに比べれば、しきりに時間を気にするだとか、患者の質問に迷惑そうな表情を浮かべるなどまったく日常茶飯事で、プリーモ・レーヴィの言葉ではないが「これが人間か!」というような信じられない言葉を浴びせかけられた人たちがいくらもいるのだ。



今日は天気も良かったが、御茶ノ水まで、中央特快に乗って約30分。ほんとうに苦痛だった。目に入ってくるもの、耳に聞こえてくるものすべてが苦痛だった。
「いったい何のために目を治すのか?」病院での長い待ち時間に何度も考えた。
外の世界は本当にすっかり変わってしまった。わたしの見るべきものは、最早今の時代にはないと痛感した。

診察室の前に小さな待合室があり、その突き当りが大きな窓だった。横幅が2メートル半ぐらい、縦2メートルくらい。見下ろすと真下にニコライ堂が見える。BGMには少し音量が大きいのでは、と思うくらいのボリュームでショパンのノクターン(?)が流れている。空には夕暮れを間近にたなびく雲。
隣の母に、「こういう雰囲気だったら、バックに自分の好きな曲を流して、空が緋に染まる頃、ここ(20階)から案外簡単に飛ぶことが出来るかもしれない・・・」といった。そしてそれができれば本当は一番いいのだとも思っていた。
20階ほどの高さになると、「飛び降りる」というよりも「飛ぶ・・・」といった方が近い気がする。

母は、「(下が)海とどっちがいい?」と訊いた。わたしは海だと即死できない可能性が・・・などと考えていた。母は、20階から眺める東京の街並みを、「雑多なビルがただ雑然と犇めきあっているだけの雑な街」ということで、一向感心している様子はなかった。
向いに40階建てくらいのマンションのようなビルがあり、わたしが、「月5万なら借りてやってもいいかな。」と言ったら、母は「いやあ、ただでも御免だね」と言い捨てた。
わたしも母も、土(大地)や樹々、草花のないところには住むことはできない。



帰りは7時台になっていて、電車はいつもと変わらぬ帰宅ラッシュであった。わたしはとてもこんな混んだ電車で、とろとろと50分近く乗っていられないからと、一旦東京駅まで引き返して始発に乗った。当たり前のように、必ずそれを持っていなければならないかのように、誰もが片手に「スマホ」を持っていた。
勿論老人が乗って来ても気づいて席を譲る人は稀だ。

やっと駅について、スーパーで買い物をしたのだが、1台を除いて、すべてが、自分で清算するように変わってしまっている。世の中からどんどん人が消えてゆく。レジでの清算の際に交わす、「今日はいい天気ですねぇ」「ほんとにねえ。昨日は雨だったのに」「ちょっと待ってね、3円、あるはずだから・・・あれ、1円しかないわ!」「ふふふ」・・・そんな会話が、やりとりが、非効率という名のもとに削られてゆく・・・実際もうここまで何もかも機械で賄えるなら、そもそも人間(他者)なんて存在しなくてもいいのではないか?

それでもまだ(また電車に乗って)目を治そうという滑稽さ。前回頻りに腕時計を見ていた同じ医師は、今日は一度もこちらを向かず終始パソコンの画面を見乍ら横顔だけを見せて「簡潔な」説明をしてくれた。










1 件のコメント:

  1. Ciao Takeoさん
    ご無沙汰していますが、ブログはいつも拝見しています。

    レジでの清算の際に交わす、「今日はいい天気ですねぇ」「ほんとにねえ。昨日は雨だったのに」「ちょっと待ってね、3円、あるはずだから・・・あれ、1円しかないわ!」「ふふふ」・・・

    Takeoさんが最後に「ふふふ」と書いてるのが、かわいい!
    笑 おっしゃってること凄ーーー く、わかります
    私もいつも行っているスーパーが自動精算に変わった時、とてもショックを受けましたから、、
    未だに、はいどうぞー機械にお金を入れてねと言われるといやーな気分になって、心臓がドキドキします。
    なんでそこまで人間の手を機械化しなければいけないのでしょうね
    レジには人がいるわけだから、彼女が金銭のやり取りをすればいいだけの話
    結局人を信用していない。ってことに帰結するのでしょうね
    銀行も、、最近こっちの銀行行ってませんが、最後に両替に行った時、お金を機械に入れて、機械がガチャガチャと両替のお金を自動的に吐き出し、窓口の銀行員はそれを手渡すのみ
    私の仕事のスキルも、そして正直さも信用されずに、窓口で機械にお金を入れ、出てきたお金を差し出す。だけの仕事を毎日やれと言われたら、私ならすぐにお暇をいただくだろうなあと思いました。
    でも大半の人は生計がかかってるから、そう言うことも黙って受け入れなきゃいけない、。。もしくはこう言うことを強制されてもそれを侮辱行為とは感じないのかもしれないと寂しく思いました。
    私は未だに出来る限り商店、出店で買い物をするようにしています
    旬の野菜を勧めてもらったり、お料理方法を訊ねたりして楽しいですし、大きな魚がどんどん小さな魚を喰って肥えていく、その情勢にできるだけ加担したくないと思っていますから、、。

    イタリアは未曾有の事態、大変なことになっており、学校は保育園から大学まで休校、スーパーマーケットや食料品屋さん、郵便局、たばこ屋さん以外の全ての商業活動禁止です。
    イタリア人の日々の暮らしに欠かせないBarも閉店
    人々は緊急以外は外出禁止、移動も禁止です。
    うちの周りは自然だらけですので、禁止されていない散歩を毎日しているので、それほどの閉塞感はありませんが、都心の高層アパートが密集している地域に住んでいる友人たちは、気軽に散歩もできず、閉塞感だと悲鳴を上げています。
    当然うちの周りも皆外出、散歩さえしない人が大半ですから、妙に静まり返っていて、
    私には逆にそれが心地よかったりします。
    多分takeoさんも覚えていらっしゃるでしょうが、私たちが子供の頃ってお正月の三が日ってどこもかしこも閉まっていて、車さえ通らず、非日常の、でも穏やかな静けさが辺りに流れていましたよね
    だから子供たちも道で羽根つきやバトミントンができたのですから、
    私はあの世界が止まったような静けさが大好きだったので、未だに時々懐かしく思い出すのですが、それに似た、まあ不安はあるのですが、(人々はこうして脅かさないととてもじゃあないけど家に何日も引きこもるなんてことはしませんが)、「私が嫌いじゃない」静けさがあります。

    目の具合がお悪いとのこと
    見え辛いという事は、相当辛い事だと想像に難くありません。
    視力が効かないという状況はとても辛いでしょうから、1日も早く、と言う気持ちは痛いほどわかりますが、一度しかしない手術です、最高の状況を選んだ方が良いと私は思いますし、
    takeoさんが書かれているような医者だったら私は話をするのもごめんです。
    慇懃無礼と言うのは、私が一番我慢できない行為なのです。
    前回の手術で上手くできなくて、患者への対応もいい加減な医者で、おまけに手術費も高いとしたら、私だったら何週間か頑張って待ってもう一個の病院で手術するだろうと思います。

    昭和医大は、私の母がかかっていた病院で、彼女が亡くなるまであそこにいましたが、医者を始め看護婦も(とりあえず私が当時接触した医者、看護婦は)最低の病院です。
    私大ですから、お金持ちのぼっちゃんたちで金にあかせてなんとか卒業できたような医者が多いように感じました。
    私は母が亡くなる数週間前に訪れ、あまりの酷さに医者と看護婦相手取って大喧嘩をしました。
    患者一人一人は生きようと、自分の疾病を治そうと必死になっているにも関わらず、その一人一人の患者さんに対する真剣みが全くなく、ただルーティンでやってる感じな緩さを感じました。
    患者は、最高の治療をしてもらうために医者の機嫌を損ねないようにと、むしろ医者に気を遣う傾向がありますが、そんなことをしてる限り、ずに乗った医者は増え、疾患があって困っているからこそ助けを求めてやってくる患者さんの前でいい加減な対応を平気でする医者が後を絶たないのだと思っています。
    Takeoさんの手術が成功しますように、祈っています。

    ジュンコ




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