ひさしぶりにジャズらしいジャスを聴いた気がした。といっても、CD-Rを100枚収納できるキャリング・ケースから無作為に取り出したそのCDには、ただCannonball Adderley とマジックで書かれているだけで、タイトルも無ければ、キャノンボール・アダレイ「クインテット」なのか「カルテット」なのかも不明。
それに、いったい何をもって、「久しぶりに聴いたジャズらしいジャズ」と言っているのか、日頃聴いているものと何が違うのかと考えても、単にフィーリングの問題としか言えない。
最近は、ランダムに取り出したジャズのCD(図書館から借りてダビングしたもの)を聴いていても、自然にノれるものが少なくなっている。何しろ当時は借りるはじからダビングしていたから。なぜって、ジャズでさえあれば、ノれていたから。
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レーガン政権時代の一時期、カリフォルニアのバークレーに住んだ。いまから30年以上まえ、カリフォルニア大学バークレー校で、おもてむきは米国のアジア政策について受講するという名目で、そのじつ、ジョージ・オーウェルやジョセフ・ヘラーの小説を読みふけり、くる日もくる日も映画三昧にくわえてバーボンとジャズ、脳みそがとろけるほど自由な時間を満喫した。
ー 辺見庸『コロナ時代のパンセ』(2016年4月号)「バーニー・サンダースのこと」
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ああいいなあ、と思う。自分にもこんな時期があったなあと回想する。
30代の10年間は、もっぱらビデオだったが、年に平均して、150~60本の映画を観ていた。前にも書いたが、ジャズに目覚めたのが30代の頃だから、映画を盛んに見ていた時期と重なる。
残念なことにバーボンは・・・酒はなかったが。
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辺見庸その人とではなくとも、彼のような人物と、薄暗いバーでいろんなことをしゃべってみたい。男であれ、女であれ、わたしが好むのは、「知的な不良」といったタイプの人間だ。
けれども、インターネットを見渡しても、わたしが「この人と話してみたい」と思えるような文章に出逢ったことはない。
今、わたしの机の上には、コーヒーと、「コアントロ」の入ったグラスが置かれている。
コアントロは、20年以上前、有楽町駅前の外国人記者クラブのレストランでアルバイトをしていた時に、カウンターの中に入るときがあった。客の注文した「生ビール」を入れるためだ。日の落ちたバーに所在なさげに立っていると、それこそ、今の辺見庸と同年代(七十代)くらいの老紳士が、「きみ、これはコアントロという酒だが、ちょっとのんでみたまえ」と、自分のグラスを差し出したのだ。わたしは素直に、黙ってグラスを受け取った。「いい香りがするだろう?」と老紳士が言う。柑橘系の甘い香りがした。かるく舌先で、舐めるように、ほんの少し飲んでみた。そのときの味をどう感じたかは憶えていない。わたしは、「ごちそうさまでした、ありがとうございました」といって、グラスを男性の手に戻したが、連れもなく、本を読むわけでも、ましてやスマホを覗き込むでもなく、黙って前を向いて酒のグラスを傾ける老紳士のたたずまいが美しかった。
そこは記者クラブの会員制のレストラン&バーなので、いずれは、インテリと呼ばれる人だったのだろう。彼はわたしに酒をすすめた後、再び自分の内面に静かに還っていった。
「彼」のような人物を「知的な不良」とは呼ばない。彼は「ジェントルマン」であった。
バーで飲む機会があれば、若い女性よりも、映画や文学、政治や哲学、芸術について語り合える・・・多くの知を吸収することのできる叡智に長けた、年長けた男性と語り合いたい。
つまり、自分より格が上だと感じられる人と。
そしてそれは、SNS上に蝟集し、盛んに囀っている、多くの本を読み、絵を観るために東奔西走している人たちではないとわたしは思っている。
バーでわたしにコアントロの味を教えてくれた老紳士の佇まいにはは、強烈ではないが、ひっそりとした「アウラ」があった。「アウラ」が大袈裟なら「ニュアンス」と言ってもいいし、「Atmosphere 」(アトマスフィアー)といってもいい。
読んだ本の数、観た映画の量、展覧会に行った回数と、人間の質とは無関係であると最近つくづく感じている。すべては持って生まれた「センス」に還元されるのだろう。ありていに言って、日本人にはセンスのいい人は稀だ。「知的な不良」も「叡智に富んだジェントルマン」も、現在のこの国には不在だ。
アルコール度数40度のコアントロをちびちびやりながら、「知的な会話」を夢見ている。
恋を夢見る以上に。
さあ、もう一度、キャノンボール・アダレイを聴こう。