2021年12月26日

ルシオ・フォンタナ アルベルト・ブッリ わたしのブログ

 



わたしのブログとは結局「これ」だったのだ。

「傷をつける」のではない。

自己の内面の傷を、「受傷」を、あるがままに表出する。

同時にわたしにとって、書き手の、抉(えぐ)られた傷口の見えない(或いは感じられない)文章は何の魅力も感じない。

嘗てある人が、わたしの文章を硬質な詩のようだと言ったのは、わたしには、アルベルト・ブッリのような文章表現ができなかったからだ。

けれどもわたしの内面は、ルシオ・フォンタナよりも、寧ろブッリに近い・・・






黒々とした空洞と爛れたケロイド。

ブッリの作品の如き内面の虚無と膿み爛れた傷を抱えながら、尚正気で生きられるか・・・






2021年12月12日

希望・・・

現実の苦しさが、自死への恐怖を上回るときが遠からずくることを願う。




2021年12月8日

追記

 生きられなければ死ぬしかない。その自明の事が非常にむずかしいのだ。
「わたしの生」と「わたしの死」、この二つの事象は最短距離で結ばれている。
何故なら何ものもその中間に介入することは不可能だからだ。





生きられない・・・

 一日が長くてどうしようもない。

やることがない。いや、やりたいことがない。

神谷美恵子の言葉を借りれば「生きがい」というものがなにもない。

先日、ある90歳の女性のブログに以下のような文章が引用とともに記されていた。

この年齢まで生きるとは想像したこともなく、生死は自分で決めることもできません。
*老いて生きるとは不安との共生、死にたくても死ねない苦悩〜死と生の執着も併せ持つ矛盾を抱いている* という文章を読んで諸行無常の言葉がうかんできます。

でも楽しかった思い出を引き出すことにしました。   
まずは12月の誕生日には卒寿祝いをしてくれる子どもの上京を待つ事にします。
(太字 Takeo)


誰の言葉とは書かれていないが、「老いて生きるとは不安との共生」「死にたくとも死ねない苦悩」「死と生への双方への執着を併せ持つ矛盾」・・・ひとつひとつの言葉に頷いてしまう。

わたしは1963年8月生まれの58歳。もう充分に「老い」た年齢と言っていい。
おそらくわたしと底彦さんとは同い年。底彦さんはご自身の「老い」ということについてどのように考えているのだろうか。繰り返すが、わたしは5年先10年先の話をしているのではない。「今現在老いている老人としての自分」について話しているのだ。

あるいはわたしと同年齢、同年代の人たちの多くは、今の自分が「まぎれもなく老人である」という意識を持ってはいないかもしれない。けれどもふと鏡に写った自分の貌を見るにつけ、鏡の中に居るのは正真正銘、醜貌の「老人」なのだ。



これは2017年、今から5年前に撮ったわたしの最後の写真だ。(これ以降のわたしの写真は無い)
この5年の間にわたしは途轍もなく老い、衰えた。


上に引用した言葉がいまのわたしの苦悩のほぼすべてを言い表わしているといっていい。

わたしはいま、ただ途方に暮れている。生きることも死ぬこともままならぬ宙吊りの状態で。

いまのわたしの混乱し、混沌とした頭の中をどうしても整理することができない。

すべては一丁の銃が解決してくれる。けれども、それを何とかして入手しようという努力も怠っている。

生きることにほとほと疲れ切りながら、死を、病を、恐れている。


わたしは現代という時代の中で生きてゆく自信がない。或いは底彦さんも同じだと言われるかもしれない。けれども、彼はひとりでスーパーに行くことができ、ひとりで病院やクリニックに行くことができ、更には、映画館で映画を観、上野にゴッホを観に行くことさえできる。わたしにはなにひとつできない。

外に出ることができないのだ。それが何故かはわからない。ただこの国に、この都市に、この時代に、この景観に、どうしても馴染むことができない。

いま住んでいる団地から最寄りの駅に行くまでに約20分強バスに乗らなければならない。
これまでは耳栓+遮音用のイヤーマフでなんとかかんとか凌いできたが、それも耐えられなくなり、バスに乗るときには母に介助してもらうようになった。親しい人がいると多少違う。それにしても、西武バスに限らず、都会のバスのうるささは、中島義道ではないが、狂気じみている。

母なしではわたしはスーパーで買い物ができない。わたしの少ない経験では、地元の東急、前にいた府中の東武は全て会計は自動精算機になっている。わたしはあの機械のうるささにどうしても耐えられない。

わたしにとって「外に出る」ということは、あらゆる不快な信号・刺激の渦中に身を投じることに他ならない。

外に出られないということについて誰にも、何処にも相談することができない。

今年、主治医のクリニックに行ったのはいつだったのか記憶にない。

ここに越してくる前から、電車で二駅のクリニックにはほとんどいけない状態っだった。

駅が苦手なのだ。晩年の西部邁を電車に乗れなくさせた「スマホ人の群れ」。やかましいアナウンス。日差しがまぶしいくらいでも、ムダに点けられているプラットホームや構内の照明。

仮にタクシーを使って主治医の元を訪れたとしても、わたしの外出困難はどうすることも出来ないだろう。

またもし仮に歩いて行ける場所に、引きこもりのサポートセンターのような場所があったとしても、わたしは人と雑談をすることができない。今の時代のことを何も知らない。興味もない。「ワイファイ」というものが何なのかすら、わたしは知らないのだ。


いづれにしても、わたしは「いま・現在」に生きてはいない。

生きられない。

しかし死ぬことも難しい。

誰に相談しても、わたしが生きる道はない。この時代に順応したくないのだ。

 ある種の人間たちには、すべてが、掛け値なしにすべてが、生理学に由来する。彼らの肉体は思想であり、思想は肉体なのだ。> エミール・シオラン

わたしがこれほどまでに「自死」を手助けしてくれる人こそ、真の友だというのはそういう意味だ。

誰もわたしを救えない。

であるなら、

誰かわたしを殺して(助けて)。


[関連投稿]






ー追記ー

シモーヌ・ヴェイユは、人間にとって「根を持つこと」の重要性を説いた。
けれどもわたしはこの国に「根」を持つことはない。何故なら「この街」「この国」自体に「根」というものが存在しないからだ。

「年々歳歳人同じくして 歳歳年々街同じからず」











2021年12月4日

「生」は「死」

以前は死ぬことばかり考えていた。

今は死のことしか考えられない。「考える」というよりも、「死」の観念が頭から離れることがない。

以前にも書いたが

「人はなぜ死ぬのでしょうね?」という「不如帰」のセリフが頭から離れない。

「生を与える」ということは、とりもなおさず「死を与える」ということに他ならない。

「生」を与えるということは同時に「病い」と「老い」と「衰弱」「屈辱」そして最終的な「苦悶」と「死」を、与えることだ。

人間に限らない。遍く生物は死ぬために生まれる。

「病むために生まれる」

「衰えるために生まれる」

「苦しむために生まれる」

そして死ぬ。

何故?

なぜ神はかほどにまで残酷な世界を創ったのか?

「それでも人生は素晴らしい」

「それでも人生にイエス」とは、そもいかなるいかなる思想から生まれた言葉か?


「世界は涙にあふれている」── これだけが唯一の、ただひとつの思想だ・・・









2021年12月3日

侏儒の言葉

「わたしは度たび他人のことを「死ねば善い」と思ったものである。しかもその又他人の中には肉親さえ交っていなかったことはない。」

芥川龍之介「侏儒の言葉」より。

仮にだれかがわたしに「あなたには誰か、「殺したい」と思っている人がいますか?」と訊ねられれば、わたしは「もちろんです」と答えることに躊躇しないだろう。

誰が殺したいものを持たずにいられるだろうか。

辺見庸のことばを思い出す。

「・・・わたしは、殺したことの非道を反省し悔いているのではなく、殺したことへの他からの非難、譴責、追跡、逮捕、処罰の可能性に怯えているのである・・・」

再び芥川の言葉、

「決して罰せられぬと神々でも保証すれば別問題である」

むろんである。








2021年12月1日

「ゼム・ゼア・アイズ」ズート・シムズ / 'Them There Eyes' Zoot Sims

ZOOT SIMS ー THE MODERN ART (1956) 



パーソネル

ズート・シムズ(テナー・サックス)
ボブ・ブルックマイヤー(トロンボーン)
ジョン・ウィリアムス(ピアノ)
ミント・ヒントン(ベース)
ガス・ジョンソン(ドラムス)


Personnel

 Zoot Sims (Tenor Saxophone)
Bob Brookmeyer (Valve Trombone)
John Williams (Piano)
Milt Hinton (Bass)
 Gus Johnson (Drums)

1956年1月ニューヨークにて録音





ジャズと酒と知的な会話

ひさしぶりにジャズらしいジャスを聴いた気がした。といっても、CD-Rを100枚収納できるキャリング・ケースから無作為に取り出したそのCDには、ただCannonball Adderley とマジックで書かれているだけで、タイトルも無ければ、キャノンボール・アダレイ「クインテット」なのか「カルテット」なのかも不明。

それに、いったい何をもって、「久しぶりに聴いたジャズらしいジャズ」と言っているのか、日頃聴いているものと何が違うのかと考えても、単にフィーリングの問題としか言えない。
最近は、ランダムに取り出したジャズのCD(図書館から借りてダビングしたもの)を聴いていても、自然にノれるものが少なくなっている。何しろ当時は借りるはじからダビングしていたから。なぜって、ジャズでさえあれば、ノれていたから。

レーガン政権時代の一時期、カリフォルニアのバークレーに住んだ。いまから30年以上まえ、カリフォルニア大学バークレー校で、おもてむきは米国のアジア政策について受講するという名目で、そのじつ、ジョージ・オーウェルやジョセフ・ヘラーの小説を読みふけり、くる日もくる日も映画三昧にくわえてバーボンとジャズ、脳みそがとろけるほど自由な時間を満喫した。

ー 辺見庸『コロナ時代のパンセ』(2016年4月号)「バーニー・サンダースのこと」

ああいいなあ、と思う。自分にもこんな時期があったなあと回想する。
30代の10年間は、もっぱらビデオだったが、年に平均して、150~60本の映画を観ていた。前にも書いたが、ジャズに目覚めたのが30代の頃だから、映画を盛んに見ていた時期と重なる。
残念なことにバーボンは・・・酒はなかったが。


辺見庸その人とではなくとも、彼のような人物と、薄暗いバーでいろんなことをしゃべってみたい。男であれ、女であれ、わたしが好むのは、「知的な不良」といったタイプの人間だ。
けれども、インターネットを見渡しても、わたしが「この人と話してみたい」と思えるような文章に出逢ったことはない。


今、わたしの机の上には、コーヒーと、「コアントロ」の入ったグラスが置かれている。
コアントロは、20年以上前、有楽町駅前の外国人記者クラブのレストランでアルバイトをしていた時に、カウンターの中に入るときがあった。客の注文した「生ビール」を入れるためだ。日の落ちたバーに所在なさげに立っていると、それこそ、今の辺見庸と同年代(七十代)くらいの老紳士が、「きみ、これはコアントロという酒だが、ちょっとのんでみたまえ」と、自分のグラスを差し出したのだ。わたしは素直に、黙ってグラスを受け取った。「いい香りがするだろう?」と老紳士が言う。柑橘系の甘い香りがした。かるく舌先で、舐めるように、ほんの少し飲んでみた。そのときの味をどう感じたかは憶えていない。わたしは、「ごちそうさまでした、ありがとうございました」といって、グラスを男性の手に戻したが、連れもなく、本を読むわけでも、ましてやスマホを覗き込むでもなく、黙って前を向いて酒のグラスを傾ける老紳士のたたずまいが美しかった。
そこは記者クラブの会員制のレストラン&バーなので、いずれは、インテリと呼ばれる人だったのだろう。彼はわたしに酒をすすめた後、再び自分の内面に静かに還っていった。

「彼」のような人物を「知的な不良」とは呼ばない。彼は「ジェントルマン」であった。

バーで飲む機会があれば、若い女性よりも、映画や文学、政治や哲学、芸術について語り合える・・・多くの知を吸収することのできる叡智に長けた、年長けた男性と語り合いたい。
つまり、自分より格が上だと感じられる人と。

そしてそれは、SNS上に蝟集し、盛んに囀っている、多くの本を読み、絵を観るために東奔西走している人たちではないとわたしは思っている。

バーでわたしにコアントロの味を教えてくれた老紳士の佇まいにはは、強烈ではないが、ひっそりとした「アウラ」があった。「アウラ」が大袈裟なら「ニュアンス」と言ってもいいし、「Atmosphere 」(アトマスフィアー)といってもいい。

読んだ本の数、観た映画の量、展覧会に行った回数と、人間の質とは無関係であると最近つくづく感じている。すべては持って生まれた「センス」に還元されるのだろう。ありていに言って、日本人にはセンスのいい人は稀だ。「知的な不良」も「叡智に富んだジェントルマン」も、現在のこの国には不在だ。

アルコール度数40度のコアントロをちびちびやりながら、「知的な会話」を夢見ている。
恋を夢見る以上に。


さあ、もう一度、キャノンボール・アダレイを聴こう。