わたしのブログとは結局「これ」だったのだ。
「傷をつける」のではない。
自己の内面の傷を、「受傷」を、あるがままに表出する。
同時にわたしにとって、書き手の、抉(えぐ)られた傷口の見えない(或いは感じられない)文章は何の魅力も感じない。
嘗てある人が、わたしの文章を硬質な詩のようだと言ったのは、わたしには、アルベルト・ブッリのような文章表現ができなかったからだ。
けれどもわたしの内面は、ルシオ・フォンタナよりも、寧ろブッリに近い・・・
黒々とした空洞と爛れたケロイド。
ブッリの作品の如き内面の虚無と膿み爛れた傷を抱えながら、尚正気で生きられるか・・・