以前は死ぬことばかり考えていた。
今は死のことしか考えられない。「考える」というよりも、「死」の観念が頭から離れることがない。
以前にも書いたが
「人はなぜ死ぬのでしょうね?」という「不如帰」のセリフが頭から離れない。
「生を与える」ということは、とりもなおさず「死を与える」ということに他ならない。
「生」を与えるということは同時に「病い」と「老い」と「衰弱」「屈辱」そして最終的な「苦悶」と「死」を、与えることだ。
人間に限らない。遍く生物は死ぬために生まれる。
「病むために生まれる」
「衰えるために生まれる」
「苦しむために生まれる」
そして死ぬ。
何故?
なぜ神はかほどにまで残酷な世界を創ったのか?
「それでも人生は素晴らしい」
「それでも人生にイエス」とは、そもいかなるいかなる思想から生まれた言葉か?
「世界は涙にあふれている」── これだけが唯一の、ただひとつの思想だ・・・
「溺れる者」プリーモ・レーヴィ、わたし、母、千葉の一家
返信削除「救われる者」-「それでも人生にイエス」と言える者。
先日母と「それでも人生にイエス」というタイトルについて話した時に、「それがもしフランクル自身の言葉なら、「わたしは」とても受け容れられないね」と話していました。
◇
世の中には二種類の人間がいると思います。
「溺れる者」と「救われる者」
そして
「それでも人生にイエス」という言葉に頷ける者と「人間であることの恥」という言葉に共鳴する者。
>どうか、その創造、体験、苦悩が永遠とともにありますように☆
返信削除悲しくて 悲しくて
とても やりきれない
この燃えたぎる 苦しさは
明日も つづくのか・・・
確か石原吉郎の言葉だったと記憶しているが、或いはプリーモであったかもしれない。
返信削除「すなわち、最も良き人々は還ってこなかった。そして最もよき私自身も還ってこなかった」