こんにちは, Takeo さん.うまく書けるかどうかわかりませんがコメントします.> わたしは1963年8月生まれの58歳。もう充分に「老い」た年齢と言っていい。> おそらくわたしと底彦さんとは同い年。底彦さんはご自身の「老い」ということについてどのように考えているのだろうか。繰り返すが、わたしは5年先10年先の話をしているのではない。「今現在老いている老人としての自分」について話しているのだ。私も 1963 年生まれの 58 歳です.「老い」についてじっくりと考える機会はなかなかありませんが, 私の肉体も精神も衰えてきています.それは確かなことでどうしようもありません.今日を明日に繋げることで精一杯の中, 老いを感じる時があります.現在でこうなら 5 年先 10 年先にはもっと衰えているだろうと思います.正直なところ恐ろしいです.ただ, 「もう充分に老いた」というのはどうでしょうか.私にも Takeo さんにも生き延びてしまう可能性が常に付きまとっています.体の機能, 精神の若さをゆっくりと失っていき, 病に侵され, 周囲に適応できず, それでも死ねないという可能性です.自分をどんなに惨めと感じ屈辱と感じても, その中で老いていきます.まだ「充分には」老い切っていない. 老いの残酷さを味わうのは寧ろこれからではないでしょうか.生きるという前提での話ですが.「もう充分に「老い」た年齢と言っていい」という言葉には, Takeo さんの小さくはない自暴自棄を感じます.それも Takeo さんが死に強く引きつけられていることから来るのではないでしょうか.> 生きられなければ死ぬしかない。という思いは余りにも単純過ぎます. しかし反面, だからこそ極めて強いものといえます.> わたしは現代という時代の中で生きてゆく自信がない。或いは底彦さんも同じだと言われるかもしれない。けれども、彼はひとりでスーパーに行くことができ、ひとりで病院やクリニックに行くことができ、更には、映画館で映画を観、上野にゴッホを観に行くことさえできる。わたしにはなにひとつできない。>> 外に出ることができないのだ。それが何故かはわからない。ただこの国に、この都市に、この時代に、この景観に、どうしても馴染むことができない。私は今は Takeo さんが外に出ることができないままでも構わないのではないかと思っています.過去の投稿を読むと, 親友と呼べる方との別れや, 破壊され尽くしてもなお破壊され続けるトーキョーの街, 静寂の存在しない街に堪えられない Takeo さんの気持ちには共感ができます.私は病院やクリニックに行き, 映画を観, ゴッホ展を観に行きますが, それは現代に生きていく自信の無さの裏返しでもあります.自分を生き延びさせるため懸命になってこなしていることです.何かを契機に Takeo さんが再びある程度活動できるようになってほしいという希望のようなものも無いとは言えません.しかし,> わたしにはなにひとつできない。この言葉の前で, 私は Takeo さんに掛けるべき言葉を失ってしまいます.精神科や社会福祉と繋がってください.行政を頼ってください.生きる方向に目を向けてください.いずれも Takeo さんに掛けたいと思っている言葉です.しかしこれらの言葉が上の言葉の前で何の意味を持つというのでしょう.> 生きられなければ死ぬしかない。その自明の事が非常にむずかしいのだ。> 「わたしの生」と「わたしの死」、この二つの事象は最短距離で結ばれている。> 何故なら何ものもその中間に介入することは不可能だからだ。そうかも知れません.極めて薄い望みかも知れませんが, 私の Takeo さんに対する望みは 生きられなければ何とかして生きる術を探るということです.元々は偶然出会った Takeo さんの深い知性と詩や芸術に関する感性に惹かれたのが始まりでした.以来, Takeo さんのブログを読み, 投稿された詩や絵画・写真を愉しんでいます.二階堂奥歯, シモーヌ・ヴェイユ, 石内都, 石原吉郎, プリーモ・レーヴィなどを本当に知るようになったのは Takeo さんのブログからの影響です.いくつかのコメントで友人と呼んでいただけたことは大きな喜びです.ですから, 一笑に付されることを覚悟で友人として書きます.どうにかして, 互いに支え合って生きていきましょう.まとまらない文章になってしまいました.朝晩の寒さが厳しい季節になってきました.どうか Takeo さんが静かで穏やかな心で過ごせますよう, 祈っております.底彦
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こんにちは, Takeo さん.
返信削除うまく書けるかどうかわかりませんがコメントします.
> わたしは1963年8月生まれの58歳。もう充分に「老い」た年齢と言っていい。
> おそらくわたしと底彦さんとは同い年。底彦さんはご自身の「老い」ということについてどのように考えているのだろうか。繰り返すが、わたしは5年先10年先の話をしているのではない。「今現在老いている老人としての自分」について話しているのだ。
私も 1963 年生まれの 58 歳です.
「老い」についてじっくりと考える機会はなかなかありませんが, 私の肉体も精神も衰えてきています.
それは確かなことでどうしようもありません.
今日を明日に繋げることで精一杯の中, 老いを感じる時があります.
現在でこうなら 5 年先 10 年先にはもっと衰えているだろうと思います.
正直なところ恐ろしいです.
ただ, 「もう充分に老いた」というのはどうでしょうか.
私にも Takeo さんにも生き延びてしまう可能性が常に付きまとっています.
体の機能, 精神の若さをゆっくりと失っていき, 病に侵され, 周囲に適応できず, それでも死ねないという可能性です.
自分をどんなに惨めと感じ屈辱と感じても, その中で老いていきます.
まだ「充分には」老い切っていない. 老いの残酷さを味わうのは寧ろこれからではないでしょうか.
生きるという前提での話ですが.
「もう充分に「老い」た年齢と言っていい」という言葉には, Takeo さんの小さくはない自暴自棄を感じます.
それも Takeo さんが死に強く引きつけられていることから来るのではないでしょうか.
> 生きられなければ死ぬしかない。
という思いは余りにも単純過ぎます. しかし反面, だからこそ極めて強いものといえます.
> わたしは現代という時代の中で生きてゆく自信がない。或いは底彦さんも同じだと言われるかもしれない。けれども、彼はひとりでスーパーに行くことができ、ひとりで病院やクリニックに行くことができ、更には、映画館で映画を観、上野にゴッホを観に行くことさえできる。わたしにはなにひとつできない。
>
> 外に出ることができないのだ。それが何故かはわからない。ただこの国に、この都市に、この時代に、この景観に、どうしても馴染むことができない。
私は今は Takeo さんが外に出ることができないままでも構わないのではないかと思っています.
過去の投稿を読むと, 親友と呼べる方との別れや, 破壊され尽くしてもなお破壊され続けるトーキョーの街, 静寂の存在しない街に堪えられない Takeo さんの気持ちには共感ができます.
私は病院やクリニックに行き, 映画を観, ゴッホ展を観に行きますが, それは現代に生きていく自信の無さの裏返しでもあります.
自分を生き延びさせるため懸命になってこなしていることです.
何かを契機に Takeo さんが再びある程度活動できるようになってほしいという希望のようなものも無いとは言えません.
しかし,
> わたしにはなにひとつできない。
この言葉の前で, 私は Takeo さんに掛けるべき言葉を失ってしまいます.
精神科や社会福祉と繋がってください.
行政を頼ってください.
生きる方向に目を向けてください.
いずれも Takeo さんに掛けたいと思っている言葉です.
しかしこれらの言葉が上の言葉の前で何の意味を持つというのでしょう.
> 生きられなければ死ぬしかない。その自明の事が非常にむずかしいのだ。
> 「わたしの生」と「わたしの死」、この二つの事象は最短距離で結ばれている。
> 何故なら何ものもその中間に介入することは不可能だからだ。
そうかも知れません.
極めて薄い望みかも知れませんが, 私の Takeo さんに対する望みは
生きられなければ何とかして生きる術を探る
ということです.
元々は偶然出会った Takeo さんの深い知性と詩や芸術に関する感性に惹かれたのが始まりでした.
以来, Takeo さんのブログを読み, 投稿された詩や絵画・写真を愉しんでいます.
二階堂奥歯, シモーヌ・ヴェイユ, 石内都, 石原吉郎, プリーモ・レーヴィなどを本当に知るようになったのは Takeo さんのブログからの影響です.
いくつかのコメントで友人と呼んでいただけたことは大きな喜びです.
ですから, 一笑に付されることを覚悟で友人として書きます.
どうにかして, 互いに支え合って生きていきましょう.
まとまらない文章になってしまいました.
朝晩の寒さが厳しい季節になってきました.
どうか Takeo さんが静かで穏やかな心で過ごせますよう, 祈っております.
底彦