2021年12月12日

希望・・・

現実の苦しさが、自死への恐怖を上回るときが遠からずくることを願う。




8 件のコメント:

  1. こんにちは, Takeo さん.

    返信が遅くなってごめんなさい.
    体調を崩していたのと, いろいろと考えていました.

    私は Takeo さんと互いに支え合って生きていきたいと思っています.
    どうすればそれができるのか.
    そのために, Takeo さんと実際に会って話すということが必要ならばそうしたいと思います.

    もっとはっきり言えば, 私は Takeo さんと話す行為を続けたいです.

    しかし, 私の問題 ── 鬱病 ── があります.
    私は人と触れ合うことが怖いのです.
    デイケアの友人と会ったりしていますが, それも人と触れ合うことの練習という面があります.
    相手の話を聞いて理解することに非常に時間がかかります.
    自分の考えを相手に伝えるのにも時間がかかります.
    どもったりするので.
    それは相手からすれば「こいつはおかしいんじゃいか」と思われるようなことなのです.

    自分のブログでいくつも私は書いてきましたが, それらは時間をかけて考えた末の言葉です.
    実際に対面で会話をした場合に, すぐにそのような言葉が出てくるものではありません.

    私は Takeo さんが, 「会って」対話をしてくださるという申し出を嬉しく思います.
    私も Takeo さんと対話をしたいと思います.

    しかし, その際に私の鬱病をあらかじめ理解しておいて欲しいのです.
    Takeo さんの言葉を理解するのに時間がかかる,
    自分から積極的な言葉を発することができない,
    だまりこくってしまう.
    私はそういう人間なのです.

    それでも, 私は Takeo さんと話をしたいと思います.
    このブログ上で, あるいは直接会ってということでも大丈夫です.

    直接会うという場合でしたら, 私にメールをください.
    都合がつけられると思います.

    どのような形であれ, Takeo さんとお話をできることを楽しみにしています.

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    1. 底彦さん。

      どうもありがとうございます。

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    2. 追伸

      底彦さん、わたしの沈黙を、底彦さんが書かれたいろいろな症状に対する遅疑逡巡と受け取らないでください。

      わたしは底彦さんに「友だち」に「実際に会って話せる友達に」なってくれますか?とお訊きしました。底彦さんはそれに応じてくださいました。
      けれども、実際に会うも何も、わたしは外に出ることができないのです。
      それを忘れていたわけではありません。けれども、嘗てのように、心を許せる友達がいれば外に出ることができるかもしれないという考えは、どうやら誤っていたようです。

      このブログ上での会話を途絶えさせたくはありませんが、とても文章が書ける状態ではありません。

      ひねくれた言い方ですが、底彦さんには、食事会をするような複数の友人がいて、DVDを貸してくれる仲間がいます。

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    3. こんにちは, Takeo さん.

      少しだけ書きます.

      「友だち」というものはそんなに形にはまったものではないです.

      ごくたまにやり取りをするだけでも友だちなのです.

      それは Takeo さんも何よりわかっていると思います.

      Takeo さんは私に多くのものを与えてくれました.
      それだけ豊かなものを Takeo さんは持っているのです.

      とりあえずはブログの上だけでもやり取りができればと思います.

      けれども, とにかく Takeo さんは疲れていると感じました.

      Clock Without Hands. とても美しい絵がありました.
      ありがとうございます.

      ゆっくり休んでください.

      あなたのものであるこの世界を今終わらせてもかまわない。
      でもそんな瞬間はもうこないのかもしれません。
      ── 二階堂奥歯『八本脚の蝶』2002 年 9 月 9 日 (月) その二

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    4. こんばんは、底彦さん。

      底彦さんは朝起きた時の「鬱」に最近苦しめられているようですが、わたしも起きた時にどうしようもない絶望感に似た感覚に苛まれるようになりました。

      これが「鬱」の症状なのかわかりませんが、気も狂いそうな「出口なし」の感覚とでもいうのでしょうか・・・
      加えて、日毎に一日の長さが長くなっていくような感じもあります。「先」は決して長くはないのに、一日がとても耐えられないほどに長く感じられます。
      「寝逃げ」と、よく言いますが、寝ている時間さえ長く感じるのです。

      毎日が苦しくて仕方ありませんが、まだ、覚悟と勇気が足らないようです。
      二階堂奥歯をはじめ、自殺者はわたしにとって「ヒーロー」です。



      ここに毎日あたりまえのようにブログを書いていたことが、遥か昔のことのように感じられます。アートブログは、なにも考えなくてもいいので何とか時間をつぶすためにやっていますが、なかなか満足のいく投稿ができません。以前は「時を忘れて」「いい絵」を渉猟していましたが、今では、「え、まだこんな時間?」という感じで、ここでも明らかに時間の進み方が遅くなっています。

      それでもわたしは、「良くなってどうする?」というほど、この時代を、この国を嫌悪しています。

      わたしの救済、わたしの真の安息は、やはり、死後にしか訪れることはないという想いを、日々強めています。

      今日は母に介添えしてもらって、タクシーで眼科に行ってきます。元居たところからは、歩いて20分のところにありました。ここからだと、電車とバスを乗り継いで、往復約400円。
      ところが今のわたしは、とてもバスや電車のうるささに堪えることができません。電車で二駅、バスと電車運賃の10倍はかかるでしょうが仕方がありません。

      障害を持った者の生きる権利について、母は、誰かの「犠牲の上に」ではなく、「社会」が遍く救済すべきだと言っています。ヨーロッパは言うに及ばず、キューバのような国の足元にも遠く及ばないような遅れた国の片隅で、一縷の夢も、希望も無く、毎日呻吟しています。

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    5. 追伸。

      今、わたしには底彦さんの苦しみがよくわかります。けれども同時に、底彦さんをこの憂き世に留まらせているものがなんであるのかが、わたしにはわかりません。

      底彦さんの苦しみの源は「鬱病」という病で、わたしの苦しみの根源は、「生」そのものなのだと思います。

      わが病の
      その因るところ深きを思ふ
      目を閉じて思ふ


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    6. こんにちは, Takeo さん.

      苦しいですね.
      毎日が苦しくて仕方がないのですね.

      バスや電車の騒音については私もある程度わかります.
      絶え間無く垂れ流される車内放送や宣伝.
      街に出ても店から流れ出る騒音としか言いようのない音の数々.
      私はスマホに録音した音声をイヤホンで聞くことで凌いでいますが, Takeo さんにはそれもかなわないのですね.

      > 障害を持った者の生きる権利について、母は、誰かの「犠牲の上に」ではなく、「社会」が遍く救済すべきだと言っています。

      そう思います.
      私は就労不能であり社会に参加することはできません.
      この「社会」は私のような弱者には努力が足りないと言うだけの冷たい組織です.
      私はこのような「社会」を憎みます.

      Takeo さんに対して, 現在の私がかけることのできるのは, ゆっくり休んでくださいという言葉だけです.
      Takeo さんの美への間隔は素晴らしい.
      けれども, それすら負担に感じられるとするならば, 休んで自分のためだけにアートを渉猟し, 時間をかけて回復を待ってほしいと思います.

      > それでもわたしは、「良くなってどうする?」というほど、この時代を、この国を嫌悪しています。

      そうですね. この時代もこの国も醜い.
      それは, 衆愚が長くこの国を統治していること, それを察して追従を恥じない民が多くいること, そういうことが国を破壊しているのだと思います.

      しかし怒りは時に自分の中における何らかのエネルギーになり得ます.
      私が日々, 生きようとしているのはその怒りかも知れません.
      Takeo さんにそれを望むことはしません.
      ただ, ひたすら死を向いている Takeo さんの思いが少しでも安らぐことを祈っています.

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    7. こんばんは、底彦さん。

      昨日はこちらにログインせず、頂いたコメントに気づきませんでした。

      クリスマス・イヴに、せめていいアートの投稿を、と思いましたが、なかなか思うにまかせません。
      Tumblrに並んでいる他の人たちの絵をみても、わたしの気分を高揚させてくれるようなものは見当たりません。自分だったら投稿はしないだろうな、というポストばかりに見えます。

      そんな中で、底彦さんのやさしいメッセージは何よりのクリスマス・ギフトでした。
      改めて友情に、お心遣いに感謝します。

      なんだか昔を思い出します。

      今の時期、昔のSNSでは、

      Thank you for you caring (kind word /concern / continuously friendship) などというメッセーじが行き交っていました。「お心遣いに感謝」はちょっと堅苦しいですよね。

      底彦さんも、残りのクリスマスを心穏やかに過ごされますように。そして平和な週末をお迎えください。

      メリー・クリスマス 

      Takeo


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