今日は過去に何度か食事をしたことのある友人と、2年ぶりに落ち合って話をしてきました。
母以外、医者以外の人と外で話をするのは2年前にその人と会って以来。
ここのところ(もう長い期間ですが)の心身の低迷不調ぶりや、相手が極めてセンスのいい女性であることなどから来る様々な不安や緊張に縛られて、もう会うのはよそうかとさえ考えました。それでも心は乱れ、「あれか・これか」の迷いは消えることなく、困じはてて底彦さんに率直な不安と緊張を伝えるメールを認めました。
鬱で体調の優れない中、底彦さんは、最大級の賛辞を以てわたしに自信を与えてくれました。
底彦さんの言葉に励まされて、今日、会う勇気が出て、先程帰ってきましたが、今は自分のちっぽけさに打ちのめされています。
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「江戸っ子は、五月(さつき)の鯉の吹き流し、口先だけでハラワタは無し」という言い方をします。この言葉こそ正にわたしにピッタリの言葉で、卑俗な言い方をすればわたしは「口の達者なバカ」なのです。
以前行った心理テストで、わたしの知能指数は、平均よりもかなり劣っていることが明らかになりました。そんな中で、言語能力だけが際立って高い。つまりこれこそが、「口先だけで脳みそは無し」であり、「口の達者なバカ」である何よりの証明と言えるでしょう。
「普通に見える。或いは並の人よりも優れて見えるということが、却ってTakeoさんの不幸かもしれません」というのが主治医の意見です。平たくいえば、「馬鹿なのに利口そうに見えてしまう」という「不幸な誤解」を招くということです・・・
豊かな知性を具えているように見えるけれども、その実中身は空っぽ。
今日の友人との会話の中でもそのことを改めて痛感しました。真の「知性」とは程遠いところにわたしはいます。
知性豊かな人間になって、底彦さんや、今日会った女性のような友だちを持つのにふさわしい人間になりたいと願います。けれどもこれは持って生まれた障害であり限界です。加えて、こんな風になりたいと理想を口にしながら、現実には勉強が嫌い、努力すること、頑張ることが大嫌いとなれば、所詮それなりの友人を持つなどということは夢のまた夢ということになります。
今になってわかる気がします、若い頃からわたしの抱えて来た胸の裡の空洞感が何に由来するのか。
現に空っぽだったからです。実際に「空洞」だったのです・・・
わたしはこのブログに一片の「嘘」も書いたことはありません。
しかし、確たる「知」の欠如の上に記された文章に、どのような眞實が宿るのでしょう。