2021年7月29日

断想 健康礼賛の罪

夕方5時近く、御茶ノ水の眼科の待合室で、他の医師の診察が次々に終わり、わたしの目の執刀医に患者が集中している。待合室の各医師の診察室の前にモニターが据え付けられていて、受付番号が表示され、あと何人、どのくらい待つのかがわかるようになっている。2時の予約で行って、4時を回った時点で、現在の診察は1時半予約の患者だ。

診察の終わった医師の、順番を表示するモニター画面が、待合室の患者に配慮してか、オリンピックの画面に切り替わった。映っているのは、男子高飛び込みという競技で、高いところの飛び込み台から、ふたりの選手が同時に数回回転して、水中に飛び込む。
率直に言って、見ていて心地のいいものではなかった。既に2時間待たされているという苛立ちもあるだろうが、それだけではない・・・二人の人間が全く同じ動作をするという、なんというか機械化された人間を見る居心地の悪さ、更に言えば薄気味の悪さを感じてしまう。わたしは決して同性愛差別者ではないし、自分でも、美しく若い男性に(性的に)魅力を感じることさえあるが、競技が終わった後、若くつやつやした、ほとんど全裸の男性同士が抱き合っているのを見て、嫌悪感を感じた。
おそらくこれが女子選手であっても同じことだったろう。特にシンクロナイズド・スイミングのように、複数の人間が寸分違(たが)わぬ同じ行為・動きを行うことが、いかにわたしの審美観とかけ離れているかを改めて認識する。
男子水泳自由形の場面も映されたが、どうしても彼らが、西部邁ではないけれども、「サイボーグ」のように思えて目を背けたくなる。
スポーツ選手(最近はアスリートと呼ぶらしいが)は、いかに天然自然の人体=肉体から遠ざかるかが目的ではないのか。

いずれにしても、若く、色艶がよく、「健康」という観念を具現化したような若い選手たちを視ていると、オリンピックというものは、少なくともわたしにとって、「美」とは最もかけ離れた場所・行為だと思わざるを得ない。

若いこと、力強いこと、健康であること、彼ら、彼女らのこれら身体的、形而下的な属性は、当然彼らの精神の在り方にも影響を与えているのだろう。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」── 仮にオリンピックの精神が、この言葉に限りなく近いとすれば、それは限りなくわたしの美意識とは隔絶している。
(精神も含めた)「健康・健全さの礼賛」「統制のとれた動作」「国威発揚」「諧調・均整・均衡への傾斜」・・・これらがどうしても、ファシズム=軍国主義と結びついてしまう。或る人はオリピックを「健康の祭典」と揶揄した。パラリンピックの選手たちを、誰が「障害者」と見做すだろうか。


目の調子は相変わらず良くない。けれども、3時間待って5分間診療の医師は、検査結果だけを以て、「経過は良好ですね」という。相変わらずこちらから目の霞みや視力がなかなか手術前の状態に戻らないことについては訊く余裕がない。この医師の患者が後20人ほど待っている。
アートのブログを再開して、つくづく目の大切さを実感したが、やはりいつもいうように、(経過の)説明なく、患者への質問なく、そしてこちらから質問もできない医師のために、丸一日潰されるのはもう終わりにしたい。

なぜこうなるのか?つまりは医師が健康・健常だからである。

「病め医者 死ね坊主」という俚諺がある。これは、医者は病んでみて初めて目の前にいる「病み弱った者」の気持ちがわかり、坊主は死んでみて初めて遺された者の悲しみがわかるという庶民の怨嗟である。

健康であることはかならずしも罪ではない。けれども健康を礼賛することは決して好ましいことではない。健康礼賛は・・・限りなく罪に近い。

霞んだ眼のまま、推敲もままならず書く。


ー追記ー

ヒトラーは嘗て、レニ=リーフェンシュタールに「ベルリン五輪」の様子を『美の祭典』と銘打って映画化させたが、五輪は「健康の祭典」ではあるけれども、決して「美」の祭典などではない。(仮初にも「健康の祭典」と呼ばれるものが、「美の祭典」足り得るわけがないじゃないか。)














 

2021年7月27日

生の根拠は外部にしかない


"Goodbyes hurt the most when the story was not finished." 📸: David Coppens




Tumblrで当初からフォローしていたロシアの男性のポスト。

わたしは基本的には「リブログは(音楽と引用以外は)しない」というスタンスでやっているが、この絵は自分のブログにリブログした。単純な理由のひとつには、わたしがまったく彼の投稿をリブログしないにもかかわらず、彼は時々わたしの写真を彼のフォロワーに紹介してくれるから、とでも言っておこう。

この写真自体はまったく通俗的だが、この状態こそ、わたしが、現在蹲って動けない、身動きが取れない状態を端的に表している。

人はわたしをわたしたらしめている外部を喪った時、どのように立ち上がり、また歩き出すことが可能なのか?
いや、言い方を換えよう、人はなぜ、自分にとって自分の生とまったく等価なものや人を喪いながらも、何故再び立ち上がり歩き出すことができるのか・・・

青年にとって犬の存在は、わたしにとっては喪われた過去であり、また母でもある。母を喪ってわたしが尚、生き存らえるということはまったく考えられない。

繰り返すが、「わたしの生の根拠はわたし自身の内部には存在しない。」わたしはわたしの外にあるなにものかによって生かされている。

この写真は通俗的でありながら、人間存在に対する本質的、根源的な問いを孕んでいる。我々を支える外部、わたしをわたしたらしめている「外部」がなくなった時に我々は如何にして生き続けることができるのか。或いはそもそも生き続ける意味とは何か、と・・・


"Goodbyes hurt the most when the story was not finished."

「さようなら」を言った時に物語(つまり人生)は終わるのだ。

仮に肉体がまだ滅んでいないにしても。




葉が枯れて落ちるように
人は死ねないものか すぎてゆく季節のままに

腕よ樹の枝になれ
髪よ樹の葉になれ
わたしは自然の序列に還ろう

わたしの肋骨の隙間に
秋の風よ ふけ

ー多田智満子














2021年7月22日

無題

生に意味があるかどうかをいまだにいぶかしく思っている人々がいる。実際にはこれは、生が耐えうるものかどうかという問いに帰着する。ここに問題が終わり、決断がはじまるのだ。

エミール・シオラン『涙と聖者』金井裕 訳 より
(太字、本書では傍点)

これは「生きる意味」の存在が「生を耐える力」になり、逆に「生きる意味」の不在は、即ち「生を耐え難いものにする」と読むこともできるだろう。

一方で、いつの時代にも、ある種の個体、ある種の生体、実存にとって、予め、「生は耐え難いもの」として存在しているということを看過してはならない。

そしてまた、自身、或いは自己を取り巻く環境の激変などにより、ある時期を境(契機)に、生が突如として「耐え難いもの」になる場合もある。

シオランは、「ここに問題は終わり「決断」がはじまる」と言っているが、実際にはここから問題が・・・つまり"To Be or Not To Be " という「決断の問題」が生じるのだ。

ところで、現実に目を向ければ、ほんとうに多くの人が「生いることは耐え難い」にもかかわらず、「生きなければならない」という状況にあるというのが、現代の社会(世界)であろう。

いずれにしても、「にんげん、生まれてきたからには生きなくちゃ」という「生善説」信仰は、いつになったら、もう少し考えなおされるのだろう。そして生まれてきた以上は生きられる(はず)だという無責任且無根拠の信仰も・・・






2021年7月18日

無題

なかなかこちらのブログが書けません。最後の投稿が7月9日。今日は7月18日ですから、このブログが中断されて約10日ほどということになります。今わたしは、Tumblrとアートブログに投稿しています。といっても、それぞれに別の投稿をしているわけではなく、ほぼ同じ絵や写真を双方に投稿しています。既にご存知の方もいらっしゃるでしょうが、アートブログは2010年に、Tumblrは翌2011年に始めていますので、共に10年以上のブログになります。そしてそれを思うと、文章のみで10年間も書き続けるということは大変な作業のように思われてきます。少なくともわたしに関していえば、世界中のアート系のサイトから、絵や写真をセレクトして、「観る人」のいる場所に投稿するということは苦行でも求道でもなく、愉しみであり気晴らしでもあります。それは閲覧者の多寡にかかわりはありません。一方で、「ぼく自身・・・」はわたしの「思惟の場」であり、ここに書かれている文章は、わたしの思考・思索の軌跡であり、Takeoという(生きることに、或いは社会的存在として)様々な困難を抱えた稀有な存在の内面の記録です。

このように、考え、書くことを中断していると、無数の「書かれなくなったブログ」のことを思います。二階堂奥歯の『八本脚の蝶』もまた、書き手の自死によって、再び書かれることのなくなったブログのひとつです。

書籍というものは、本として出版されてしまえば、その著者がそれ以降書かなく(書けなく)なっていようが、長いブランクがあろうが、著作者が物故していようが、それは著者とは無関係のひとつの生命を持ったものとして読み継がれます。しかし、書かれなくなったブログはその後どうなるのでしょう。それらのブログもまた、書かれている内容の如何に拠らず、書いた者の「作品」であるはずです。

敢えて、「僭越」という言葉は使いませんが、「ぼく自身或いは困難な存在」も、『八本脚の蝶』のように、続きが書かれなくなっても、少数の人たちに、永く「再読・三読」されるようなものであればと望みます。
二階堂奥歯が、自分の日記を「作品」であり、永く読み継がれたいと思っていたとは考えません。彼女には日記の外側に「現実の生活」があったからです。けれども、わたしの「生」は正にここに書かれた文章の中にこそあると思うのです。


アートブログは、久し振りにアート投稿の勘をとりもどしつつあります・・・と言いたいところですが、目の状態に加え、現在歯医者に通わなければならない状況で、霞んだ眼と、ロキソニンなしでは堪えられない歯の痛みを抱えながらでは、なかなか悠長にアートを選んでもいられないというのが現実です。

"Lord, free me of myself. So I can please you." 

「主よ、私を私自身から解放してください。そうすれば私はあなたを歓ばせることができるでしょう・・・」

とミケランジェロは神に祈りました。

わたしもこの眼病と歯痛から解放されれば、もっとのびやかに「美」を選び、Tumblrでわたしをフォローしてくれている人たちを歓ばせることができるでしょう。

しかし反対に、生きることに伴う苦しみ無くして「ぼく自身或いは困難な存在」が存在し得るでしょうか?悩みや迷い、葛藤のない「八本脚の蝶」とはなんでしょう?


Zwei Gefangene (Two prisoners), 1950, Elisabeth Hase. Germany (1905 - 1991)

ここ数日間の投稿の中で、特に閲覧数が多かった写真。1950年にドイツのエリザベス・ハースによって撮影された、「ふたりの囚人」です。

自分を縛る様々な桎梏・不自由不如意不条理が思索の土壌と言えるでしょう。そこには「何故?」という問いが常に存在するからです。

わたしはアートブログに於いては心身の健康と自由を求めます。そうすれば 

"I can please you"

と言える気がするからです。

わたしは求道者でも修行者でもありませんので、敢えて精神的・肉体的な苦悩・苦痛を求めませんが、おそらく(時代の)「囚われ人」だからこそ、「今のこの社会に生き、なんら桎梏も軛(くびき)も感じていない」者たちよりも、深く、遠くまで思索の射程は距離を伸ばすのだろうと思うのです。

わが病の
その因るところ深きを思ふ
目をとぢて思ふ (啄木)

わが病・・・「存在の病」、生きることの困難さに触れるため、可能な限り手を伸ばすこと・・・

わたしは各々二つのブログで全く正反対の位置に立っています。


Tumblrでは、モノクロ写真や絵画だけでなく、20年代に活躍したハリウッド・サイレント映画時代の女優のポートレイト、ピンナップやパルプフィクションのイラストなども、わたしのダッシュボードに流れて(?)来て、目を楽しませてくれています。

それにしても、20年代~40年代に活躍した女優や俳優のポートレイトを扱ったブログの数には驚かされます。グロリア・スワンソン、リリアン・ギッシュ、ルイーズ・ブルックス、クララ・ボウ、アラ・ナジモヴァ・マーナ・ロイ、ポーラ・ネグリ・・・

少し時代が下がって、エヴァ・ガードナー、リタ・ヘイワース、キャロル・ロンバード、ジョーン・クロフォード...etc
翻って、日本の若者に、例えば原節子や高峰秀子の写真を見せて、あたりまえのようにその名前を言うことが出来るか甚だ疑問です。

ところで、先日かかりつけの眼科の入った駅ビルの書店で雑誌のコーナーを眺めていると、
映画の雑誌なのかわかりませんが、まったく同じ若い男性の顔が三冊の雑誌の表紙を飾っています。それも相当なクローズアップで。三冊並べて眺めてみましたが、どうしても違いがわかりません。店員か、近くの人に、「この三冊の表紙の人、同じ人ですよね?」と訊きたい衝動に駆られました。
それにしても人気があればどこの出版社も同じ俳優の写真を使うとは芸のないこと。
また仮にその三冊の表紙の人物が、まるで別の人たちであったなら、やはりわたしは今の若者の顔の個別性を識別することはできないと改めて感じました。


メプさん、Junkoさん。お返事を書かずに申し訳ありません。
わたしは気楽な対話(会話)を求めているし、母も、「いつもいつも堅苦しいばかりじゃなく、スタイルを変えてみれば?」と勧めてくれるのですが、どうしてもいつも独白になってしまいます。

今しばらくおまちください。


ー追記ー

メプさん、Junkoさん。来週28日に再度御茶ノ水の眼科の予約を取りました。













2021年7月9日

ウツリユク シャカイニ オクレテハ イケナイ

先月、6月9日の右目緑内障の(22歳頃の両眼手術以来の)再手術からひと月が過ぎた。
経過は相変わらず良くない。というよりも、もうこれ以上良くなることはないだろうと思っている。手術前の状態まで戻ることはないだろうと・・・

一昨日、母に付き添ってもらって御茶ノ水に最後の診察を受けに行った。「最後の診察」と言っても、医師が、「術後の経過もいいようだし、癒着の兆候もなく、眼圧も正常に抑えられてるし、視力もちゃんと出ているようなので、ここへの通院は一旦終わりにしていいでしょう。」と言ったわけではなく、わたしが勝手に「これで最後」にした。このひと月間毎週通ってきた。そして眼圧は二桁単位で上がったり下がったり。先週計った時には35あったものが、一昨日には20。視力も、手術前は、両眼とも1.2あったのだが、現在は左右ともに1.0を下回っている。このようにパソコンに向き合って読み書きをしたり、画を選ぶことも楽ではない。

1週間前から左目が充血していて、母はすぐに気付いたが、一昨日の診察で医師がそのことに触れないので、こちらから質問すると、「充血?」
もう一度目を診て、「目の奥の方で炎症を起こしているといったようなことはないので、大丈夫でしょう。じゃあまた今度、来週か再来週に。都合のいい時に診せてください。」

わたしも、診察室に同席した母も、今回の診察で終わりにしたいというようなことは一切言わなかった、形式的に次回20日の予約を取って帰って来た。

何故眼圧が前回は30台、おとといには20台と、一向に安定しないのか?
前回よりも視力が落ちているのは何故なのか?

手術後1ヵ月経過して、現実に何かが良くなったということが実感としてまるで感じられないどころか、手術前よりかなり見えにくくなっているが、これは少しづつでも改善されてゆく=元のように戻ってゆくのか、それとも、ひと月経ってこの状態では、今後これ以上良くなるということは考えにくいのか?

なにもこの病院、この医師に限ったことではない。このようなことが自然に質問できる医者は、特に大きな病院では、そもそも稀有な存在なのだ。

1週間以内にかかりつけの眼科に行き、執刀医になにも伝えず、病院の医療相談室の看護師とも相談もしなかったが、これ以上御茶ノ水に行くつもりはないと伝えるつもりだ。如何に名医であっても、「聾唖」の状態であっては患者として通うことはできない。無理な注文と重々承知していても、わたしが求めているのは、患者の訴えに耳を傾け、その疑問や不安に丁寧に答えてくれる医師なのだ。


いずれにしても、目の手術からひと月が経ち、更に一段低いところからこの社会を見てみると、益々深刻に「生きるということ」がどういうことか、わからなくなった。
このひとつき、毎週母と一緒に立川から御茶ノ水まで、バスに乗り、電車に乗り、駅周辺の雑踏や電車の中、バスの中のありように接していると、「どう生きるか?」などという質問が、手もなく粉砕されてしまうように感じる。「どう生きるって・・・こんな世界で生きようがないじゃないか」というのが、現在のわたしの偽らざる心境だ。

社会との接点、人とのつながりと言っても、今のわたしには、そもそも、「社会」とか「他者」と繋がるということは何を意味するのかがまるで分からない ── いや、もっと厳密に言うならば、「シャカイ」とか「ニンゲン」といわれる存在が如何なるものなのかが、わからないのだ。

デイケアに行く、地域活動支援センターに行く、自助グループを捜してみる・・・
しかしそもそもそのような場にいる(行く)人たちが、果たして、「人が生きるとはどういうことか?」といった疑問を持っているだろうか。ほとんどすべての人にとって、「生きている自分」=「生きている自分」という感覚しか持ってはいないのではないだろうか。
「生きている(?)わたし」=「生きるとはそもそもどのようなことを言うのか分からないわたし」が、一体どこで、どのような「接点」を持ち得るというのか。


わたしは片目をほぼ失った、けれども、それ以前に、わたしが観るべきものがまだ「この世界」に残されているとは思えないのだ。逆にいえば、見える目を持っていても、見るべきものなどほとんどない世界にわたしはひとりで立ちつくしている。

確かに本がある、映画がある、アートがある・・・けれどもわたしは人とはつながれない。生身の人間とはつながれない。何故なら現代社会に於いて、わたしの考える「生身の人間」とめぐり逢うということは、盲亀の浮木優曇華の華・・・干し草の山の中で一本の針を探し出すよりも困難なことだと思っているからだ。

「生きる」とはどういうことか?わたしはその意味が分からずに立ち止まっている。そして生きること。生きていること。即ち、「移りゆく社会に遅れないこと」という大前提を、曲がりなりにも実践している人たちと、接点を持てるとは思えないのだ・・・